実技教科の恩恵

我が家のこどもたちが学校で受けている授業を見ていると、昔に比べて実技教科が軽んじられていると感じる。

公立小では、専科ではない教師が図工や家庭科を教えていたりする。

 

でも、中高年になった今になって実感する。

「身についているのは、かつて実技教科で学んだこと」だと。

「大人になってから思い出すのは、実技教科での授業のことばかり」だと。

 

たとえば、

・塩を入れ過ぎてしまい、おそろしいほど塩辛い粉吹き芋を作ってしまった小学校家庭科の授業

・生徒全員がやる気がなくグダグダでダンスを踊った中学体育の授業

・「テニスラケットを適当にふっているうちに終わった」ゆるい高校体育の授業

・「高校生になってまで水泳をやるのか」と思った高校体育の授業

などなど…思い出すのは実技教科の授業ばかり。

 

身体を使って受けた授業は強い記憶として残り、今でも忘れないのだ。

そして、習い事に通う余裕がない家の子どもにとって、体育や音楽や美術を体験できる実技教科は貴重な経験だ。

 

まず体育。

習い事に通う余裕がない家の子でも、学校体育を真面目に取り組めば基礎が身につく。

縄跳び・水泳・マット運動・跳び箱・鉄棒・陸上…わたしのように「並」の運動神経でも学校体育だけで身につけられた(わたしは水泳以外の競技は学校体育だけでの経験だ)。

わたしのように「並の」運動神経しかない人間でも、縄跳びもマット運動も跳び箱も鉄棒も学校体育だけで身に付いた。

今になって思う。

学校体育でやった陸上・器械運動・水泳での基本的な動作が今の自分の体のバランスと柔軟性を支えている。

体育の授業がキライだという子どもは多い。学校体育がいまだに軍隊式を引きずっているせいもある。

学校体育がもっと、個人の能力に合わせて取り組めるものならば、こどもたちは体育がキライにならなくて済むのに…と思う。

 

そして音楽。

学校音楽は、経済的に余裕がない家の子でも楽器に触れられる貴重な授業だ。

実際、わたしはピアノを習っていなかったけれども、学校音楽で楽譜がある程度読めるようになった。

わたしが小学校低学年の頃は先生が毎日オルガンを弾いてくれていつもいつも歌っていたし、ハーモニカや縦笛でいろいろな曲を吹いた。

かえるのうた・きらきらぼし・ぶんぶんぶん・ちょうちょ・大きな栗の木の下で・春の小川・エーデルワイス…その頃に唄ったり演奏したりした曲は今でも「ドレミ」で唄える。

ちなみに、今のこどもは鍵盤ハーモニカだけれども、昭和のおばさんの頃はハーモニカだったのだ。

「音を聞く力を伸ばせるのは7歳頃まで」といわれているが、わたしは小学校低学年のとき音楽好きの先生が担任だったおかげでたくさん歌い・たくさん演奏したことで、音を聞く力がついたと思っている。

おばさんになってからピアノを習い始めても楽譜がなんとか読めるのは、学校音楽のおかげだ。