学校がつまらない

今年、小学校に入学した次男は「学校がつまらない」とこぼす。

次男は、年の割に落ち着いた性格だ(でも敏感である)。

「学校がつまらない」のは、次男の友だち関係が悪いから、じゃない。

「クラスメート全員とおともだちになった」と次男は話している。新しいおともだちが出来て楽しいみたいだ。

次男は今のところ授業内容をよく理解しているから、勉強が出来ないから、じゃない。

次男の話をよくよく聞いていて気づいたのは「机に座って先生の話を一方的に聞く」という学習スタイルが次男には退屈だということ。

 

知的好奇心が満たされない

実は、次男が「学校はつまらない」と言い出すと予想していた。

予想通りになってしまった。

担任の先生は、35人超のこどもたちを落ち着かせて授業するのに精いっぱい。

「知的好奇心をくすぐる授業」など要求するのは酷だ。

私自身がそうだったように「学校がつまらないのが当たり前だから、あきらめて我慢して学校に通え」と次男に言えば良いのだろうか。

 

小学校の授業:まずは礼儀作法から入る

日本の小学校ではいまだに礼儀作法から入る。少なくとも次男の担任はそうだ。

・授業中は先生の話を聞く

・授業中は私語をしない

・授業中は姿勢よく座る

・必要ないときは机の上の教材をいじらない

・鉛筆を持っていないときは手は膝の上に置いておく

・授業に関係ないものは机の中にしまう

・授業で使うものだけ机の上に置く

・授業の前と後であいさつをする(あいさつの練習の強要)

小学校1年生の授業はこういうような礼儀作法の確立からまず始まる。

しかし「授業中は黙って先生の話を一方的に聞く」ような公立小の授業スタイルでは次男の知的好奇心が満たされないのだ。

日本の学校教育では長年「黙って先生の話を聞く」スタイルが当たり前だったけれど、こういう学習スタイルはそろそろ限界のような気がする。

たとえば日本の科学技術分野の研究が行き詰まっていることに象徴されるが、こういう学習スタイルでは、新しい発想を創出できるような人材は生まれにくい。

 

いずれ私学に転校するかも

先日、授業参観に行ったところ、こどもたちは授業中静かに勉強をしていた。

一年生らしい「好奇心いっぱい」の様子は次男のクラスの授業参観では見られなかった。

一部の私立小学校やインターナショナルスクールには、座って静かに担任の話を聞くよりも、まず、自分の興味があることを探求する・自分の意見を述べることを大切にしていると聞く。そういう学習スタイルが次男には合っているように思える。

次男はいずれ私学に転校したいと言い出すかもしれない。