板書は必要なのか【小学校】
我が家の次男(小2)は几帳面。
学校の授業ではきちんと板書をとる。
次男の今年の担任の先生は、黒板に目いっぱい情報を詰め込んで書くタイプだ。
そして、授業の内容をノートにきちんと書き写すことをこどもたちに求める。
次男は一字一句、黒板に書かれたことをすべてきちんとノートにとっている。
まだ小2のこどもたち。
ノートを書き写すだけで精一杯になって、授業の内容を理解する余裕がない子も少なくないはずだ。
次男のクラスではノート提出がときたま、ある。
こどもたちがノートをきちんととっているか、先生方が確認している。
でも、思う。
教科書にすでに書いてあることをノートに書き写してどうすんの?
教科書を読めばわかることを板書する意味はあるのだろうか。
板書なんて時間の無駄だ。
今は、優れた動画授業がタダでネットにあふれている時代だ。それなのに、いまだに、写経のようにノートに板書を書き写す作業をこどもたちに課している。至極ムダだ。
教科書に書かれていない、授業でしか言わないことをメモするほうが大切なのに。
これを見ると、いまだにノート提出をやっている学校は多いようだ。
わたしたち親の世代ではノート提出なんてことはやっていなかった。
ノート提出なんて、いつから始まったのんだろう。
きれいにノートを取っていたからと言って、授業の内容をよく理解しているとは限らない。
いつも思うが、「言われたことをきちんとやる」ことが今の学校では最も評価されるようだ。
本当は、生徒が板書する代わりに、1問でもいいからしっかりと自分で問題を解いてみる時間を生徒にあげたほうがいい。
ICT教育を謳い、タブレットを一人一台生徒に支給しているのならば、無駄な板書は止めて、必要ならば随時、わかりやすい授業の動画をタブレットで見られるようにすればいい。
先生は、生徒が理解できないところを個別に重点的に教えればいい。
それができない先生は要らないんじゃない?