子ども食堂を利用したくない理由

ここ10年で子ども食堂がかなり増えた。

でも、うちの子たちは子ども食堂に行きたがらない。

長男いわく「子ども食堂の雰囲気が嫌」だそうだ。

 

子ども食堂の立ち上げ時、お客がなかなか集まらないことがある。

だから知り合いに頼んで、SNSやグループラインを通じて子ども食堂を宣伝して来てもらったりする。

わたしたち親子が参加した子ども食堂も、知り合いからの動員で誘われたものだった。

 

子ども食堂に携わっている人はおおむね善意で食堂をサポートしている。

その気持ちは素晴らしいし尊いし、子ども食堂自体を決して否定するわけではない。

けれども…実際に子ども食堂に行ってみると、なんというか、そこはかとなく「食わせてやっている感」が漂う。

子ども食堂の運営者側から醸し出される「施してあげている感」が苦手だ。

我が子たちと同様に私は、もう一度子ども食堂に行きたいと思えなかった。

 

そして、子ども食堂の中には、食事の提供だけでなく、劇・歌・絵本の朗読をするところも少なくない。

わが子たちは、食事の提供だけならばいいけれども、劇や歌の観覧に付き合うのが嫌だという(この点については以前も触れた)。

「タダ飯を食らうならば、劇や歌を見ていけ」という無言の圧力が漂う。

いったい誰が子ども食堂で劇や歌を始めたのだろう。

望んでいないのに、なぜ、劇や歌を見なければならないのだろうか。

 

そしてもうひとつ。

10年くらい前、子ども食堂の数がまだ少なった時代、子ども食堂を運営していたのは、飲食店店主・教会などの宗教団体・福祉団体がメインだった。

ところが、わたしが住む地域では、町内会幹部が運営する子ども食堂が少しずつ増えてきた。

都市部ではすでに相当数の子ども食堂が存在する。もうこれ以上、子ども食堂は要らないのではないだろうか。

 

町内会幹部が運営する子ども食堂は、子どもの居場所を作るためというよりも、子ども食堂を介して町内会のお手伝いさんを探す目的ではないか?

PTA幹部・町内会幹部・子ども食堂スタッフがみんな同じ顔ぶれなのも気になる。

そのうち、町内会幹部から地元の小中学校のPTAに、子ども食堂のお手伝い要員の要請があるんじゃないだろうか。

 

PTA活動がなくならないのは、町内会幹部がPTA幹部を兼ねているからだろう。

たとえ学校のPTA活動が縮小されたとしても、町内会の仕事が増えれば、強制的なご奉仕(お手伝い)はいつまでたっても無くならない。