私が母乳育児を選んだ理由
実母も義母も完ミ
私が生まれた頃の日本では、粉ミルク使用率が高かった。
1970年代初め、都市部では粉ミルクの使用率が約8割ほどだったと聞く(ソースを探したが見つからない)。
当時、母親に連れられて病院に行くと、産婦人科に大量の粉ミルクのサンプルが置いてあったこと、粉ミルクメーカー各社のポスターがデカデカと貼られていたのを今でもよく覚えている。
実母も義母も母乳が出なかった。
ふたりともいわゆる完ミ(母乳ではなく粉ミルクだけで育てる)だった。
私は、実母も義母も母乳育児にはまったく経験がない中での母乳育児のスタートだった。
母乳育児のコツなど誰から教わることもできなかった。
「母乳育児のコツを親類の誰からも教えてもらうことなく母乳育児をする」
そういう人が今の40代50代女性に多い。
いや、今の30代後半女性の母親世代でも粉ミルクがまだまだ主流だったかもしれない。
本来ならば、母乳育児のコツみたいなものを実母から教わるのが一番良いのだろう。
けれども、現在高齢出産する母親達の祖母世代は粉ミルクが多数派なので、母親に母乳育児について尋ねることができない人が多い。
だから、本やネットから情報を得たり、助産師さんのアドバイスを受けながら母乳育児をなんとか続ける女性は多い。
私が母乳育児を選んだ理由
私がなぜ母乳育児することを選んだのかといえば、母乳は病気に対する抵抗力を子どもにつけてくれるからだ。
私自身、出生体重は2,500g近くあったけれども未熟児(35週)で生まれた。
誕生後、生後1か月ほどは保育器に入っていた。
小さい頃は風邪を引くことや発熱が多くてつらい思いをした。
私は小さい頃、やや喘息気味だった。
夜中咳が止まらないことも多く、発熱してよくうなされた。
実母が母乳が出なかったので粉ミルクになったのは仕方ないことだ。
けれども、私がもし母乳で育っていたら、小さい頃に風邪を引く頻度がもう少し減っていたと思う。
私が小さい頃に経験した「風邪を引いたり熱が出るつらさ」を自分の子どもたちには味わってほしくなかった。
だから出来る限り母乳育児をやっていこうと私は決めた。
とはいえ、粉ミルクだけで育った私は今は健康だ。
私のように粉ミルクだけで育っても、丈夫な体に成長できるってことだ。
母乳育児が良いとはいうものの
母乳育児が良いとはいうものの、今思うと、長男のときも次男のときも、私は母乳の出はけっして良いほうではなかった。
夕方になると母乳が枯れてくるのを実感した。
生理の前は母乳が薄くて味が変わるのか、次男にはおっぱいをよく噛まれた。
沢山食べれば母乳が出ることは分かっていたので、食べることで母乳を増やそうとがんばった。
けれども「夕方のおっぱい枯れ」はいかんともしがたかった。
長男も次男も当初混合でその後母乳オンリーになったものの、母乳オンリーになってからも「ミルクを足したほうが満足するかなあ」と思いつつ、おっぱいを長時間加えさせていた日々だった。
長男も次男も体重は多いほうではなかった。
長男も次男も体重が軽めなのは母乳の出のせいかとも思っていた。
けれども、今でも長男も次男も細いほうなので、成長が体重よりも身長のほうに回るタイプだったのだ。
人にあげたいと思うほど母乳が出る人がうらやましいものだ。