お姫様が品位を保つ生活を送るのは大変なことだ

上皇陛下の実妹・島津貴子さんが降嫁後、東京プリンスホテルの高級ショッピングモール「PISA」のデザイン顧問として勤務していたことはよく知られた話である。

たまたま「堤清二と昭和の大物(著者:松崎隆司・光文社)」という本に、島津貴子さんがPISAで働くことになった経緯が書かれていたのを発見した(「(読書感想)堤清二と昭和の大物(著者:松崎隆司)」)。

その経緯が興味深かったので紹介する。

 

島津貴子さん就職の経緯

島津貴子さんがPISAで働き始めたきっかけは、島津家の財務顧問をしていた銀行の頭取が堤清二氏に「島津貴子さんにお仕事を紹介してほしい」と依頼したことからだそうだ。

1970年代初頭、島津ご夫妻の生活を維持するためには、島津さんのご主人の給料だけでは毎月15万円ほど不足したとのこと。

1970年の大卒初任給(平均)約4万円だったことからすると(大卒初任給|年次統計 (nenji-toukei.com))、1970年頃の「15万円」は現在の「60万円」くらいに相当するだろう。

福祉施設などのテープカットのお仕事をすれば不足分を補うことができるらしかった。けれども島津貴子さんは家計の赤字を気にする素振りはなく、「わたしは乞食に生まれたわけではない」と言ってその類いの仕事を拒否したそうだ。

困った財務顧問(銀行マン)が西武百貨店社長の堤清二氏に「島津貴子さんが働ける場を紹介してほしい」と相談をもちかけたということだ。

島津貴子さんがインテリアコーディネーターの資格を取得したこともあり「PISAなら落ち着いて働けそうだ」とのことで、島津貴子さんはPISAのデザイン顧問に就任した。

 

「皇室利用」との激しい批判にさらされる

ところが島津貴子さんの就職をきっかけに、堤清二氏は「皇族を宣伝に利用した」と右翼から激しい批判にさらされてしまった。

お仕事紹介を打診してきたのは島津家側であるにも関わらず、である。

そんな中、三島由紀夫氏が自害して、その直後に出演したラジオ番組で堤清二氏が三島氏を擁護する立場を表明したとたん、堤清二氏への右翼の批判はパタリと止んだそうだ。

今も昔も、お姫様が降嫁したのちも品位を保持できる生活をするにはそれ相応のお金がかかる、ということを示すエピソードである。