謙虚な青年になってほしい
来年春に小学校に入学する次男が中学受験するかどうか決めるのは、まだまだ先の話だが…。
わたしが気になること。
それは、中学受験して中高一貫校に入学した場合、中学生という早い段階から「〇〇中学の生徒」という肩書でオイシイ思いを味わってしまうことだ。
女子生徒は本能的に賢いので、肩書がすべてではないことを無意識のうちに理解している。
一方で、中学生男子はまだまだ子どもだ。
人生の早いうちから「〇〇中学の生徒」という肩書で羨ましがられる経験をすることは、長い人生においてプラスに働かないと思う。
下手をすると、人生、肩書があればオイシイ思いができる、なんて思ってしまう。
「肩書さえあれば女は寄ってくる」、なんて思ってしまう。
つまり「世の中を舐めたクソガキ」の一丁あがり、である。
公立中学に進学した場合
考えてみれば、ちょっと前まで同じ小学校で机を並べて勉強していたクラスメートの多くは、地元の「公立△△中学」に進学する。
地元の「公立△△中学」に通っていることを「スゴイ!」なんて言ってくれる人は、誰ひとり、いない。
たとえその生徒がどんなに賢くても・どんなにカッコよくても、ただの「公立△△中学」の生徒という扱いである。
都市部にある今の公立中学は、中学受験して中高一貫校に進学しなかった(できなかった)残りの生徒で構成される。
公立中学に通う自らを「中学受験の搾りかす」なんて言葉で自虐的に表現する生徒もいる。
最優秀層の多くは中学受験して中高一貫校に抜けてしまったことを公立中学の生徒たち自身がよく分かっている。それゆえに、公立中学の生徒たちは自らの学力に関してわりと謙虚だ。
そう思うと、中学生までは名も知られていない地元の公立中学に進学して高校受験を経験したほうが、謙虚な青年になれるしれない、という思いが頭をよぎる。
次男には「世の中を舐めたクソガキ」じゃなくて、「謙虚な青年」になってほしいのだ。