(読書感想)泥水のみのみ浮き沈み 勝新太郎対談集・文藝春秋 編
「泥水のみのみ浮き沈み 勝新太郎対談集」は、文藝春秋にかつて連載されていた勝新太郎(以下登場人物は敬称略)とゲストとの幻の対談集をまとめたものである。
対談相手は森繁久彌、三國連太郎、石原慎太郎、ビートたけし、瀬戸内寂聴、中村玉緒…など。
面白い本だった。
ゲストが森繁久彌や三國連太郎という旧知の熟練俳優のときは、勝とゲストがお互いに尊敬の感情を持って対談が進んでいくのが興味深い。
森繁久彌の回では、テレビではとても放映できないような際どい話題(ハルビンの女性の話)が出てくる。
勝新太郎について感じたこと
非常に繊細で感覚的な人
この対談集を読んで思ったのは、勝新太郎というのは非常に繊細で感覚的な人だということ。
勝新太郎は昔ながらの俳優で「遊びが芸の肥やし」を体現している人だ。
祇園遊びの話やクスリの話もこの本に出てくる。
勝新太郎という人が長唄の師匠のお家に生まれたのは知っていたが、勝新太郎は三味線弾きとして天才で、10代の頃にすでに芸者相手に三味線を教えていたほどの腕前だった。
勝新太郎はただの三味線弾きとして終わりたくないから俳優になったと聞く。
なるほど。
勝新太郎は裏方(三味線弾き)として落語や歌舞伎などの日本の古典芸能を3つの頃から見ていたので、高名な落語家や歌舞伎の名優たちの芸が体に染みこんでいる人なのだ。
勝新太郎は、あの名優のあの演目ではこの場面でこうする、みたいなことを小さい頃から全部見て吸収してきた人なのだ。
文学的センスがある人
そして、この対談を読んで気づいたのは、勝新太郎が文学的センスがある人だということ。
文学的センスみたいなものは、どんな学校を出ているのかは関係ないのだ。
勝新太郎は自分の体験に基づいて自分の言いたいことを自分の言葉で語れる人だ、と対談集を読んで思った。
たとえば象徴的な表現を引用すると、故・太地喜和子について「なんか(手を伸ばして掴むように)こうやって探して、グッと引っ掛かったところがあったら、それをグーッと引っ張ってきて、自分の神経と結ぶみたいなね、そんな役者だったね」と勝新太郎は述べる。
この表現から勝新太郎が想像力豊かな人だということが伺える。
もし勝新太郎が生きていたら一度お会いしてみたかったな、と思った。
泥水のみのみ浮き沈み 勝新太郎対談集
文藝春秋 編
2017年
文藝春秋