「地域の中の学校」というけれど
「コミュニティスクール構想」というのを国が打ち出しているらしい。
「開かれた学校」というコンセプトのもと、地域と連携した学校を目指すものだ。
平たく言うと「学校は地域といっしょにこどもたちを育てていこう」というのがコミュニティスクール構想である。
その一例として、公立中学の部活動が地域に移行しようとしている。
でも、地域の大人たちがそのまま学校で活動できるのだろうか?
教員として園や学校で働いた経験がある人ならばともかく、そうでない人が大半だ。
学校の先生ならば、今までの経験や学びにより、いろいろなこどもたちがいることを知っている。
けれども、地域の大人はそうじゃない。
町内会などに関わっている大人の中には、子どもの性格その他に対して一方的な思いこみがある人(高齢者が多い)が「ものすごく」多いと私は感じている。
「子どもの発達過程」・「こどもは生まれながらに多種多様な性格を持っている」ことを知らない人が多いのだ。
結果として、無神経な言葉を子ども(親にも)に投げかける人が多くて困る。
次男は場面緘黙っぽいところがある。
初対面の大人たちとは全然話せないわけではないが、初対面の大人をひどく警戒する。
それでも、成長するにしたがって次男も、徐々に知らない大人にも慣れてきた。
次男が初対面の大人をひどく警戒する原因は、小さい頃から何度か、町内会やイベントの大人から無神経な言葉を投げかけられたからだと思っている。
町内会その他のイベントで、次男があいさつしないことに対して、
・他人と触れ合う場所に親が連れてくる経験を今までさせなかったから、この子はあいさつができないんだよ
・あいさつができないような子はロクな大人にならないよ
などと、その場に居た大人から捨て台詞を吐かれたことがある。
それを聞いた次男は意味が分からなかったのかもしれないが、自分(親)を否定することを言われたことだけは感じ取ったのだと思う。
今でも、次男は、地域の大人たちと交流する場をひどく嫌がる。
町内会や商店街が主催するお祭りや屋台に次男は行きたがらない。
こどもにとってお祭りや屋台が楽しいものなのだが、次男は決して行きたがらないのである。
緊張が強いタイプの子どもというのが一定数いること・親の育て方が悪いからそうなったのでなく、元来の繊細な性格に起因することだと、学校や園の先生は当然知っている。
けれども、地域の人たちはそういう基礎知識がない。
学校と地域との連携を進めるならば、地域の人たちの言動によって子どもたちが困惑することがないよう、子どもの発達について地域の人たちに学んでもらったほうがいいと思う。