小学2年生国語教科書「お手紙」あなたならどうする

2020年改訂の学習指導要領では学習内容が増えて難しくなった。

学習指導要領を難しくすれば子どもたちの学力が向上するかというと、そんなに簡単ではない。

少なくとも「小学校低学年の学習内容をいたずらに難しくするのはむしろ逆効果だ」と思う。

 

今の小学校の国語授業では低学年から「自分の意見を書く」・「登場人物になって考える」内容になった。

小学校2年の国語教科書(光村図書)にある「お手紙」という物語を例にとって説明する。

 

「お手紙」はかの有名な、かえるの「がまくん」と「かえるくん」のお話である(作:アーノルド=ローベル、訳:三木 卓)。ストーリーを覚えていなくても、かえるのイラストは覚えている人も多いだろう。

 

「お手紙」は40年以上の間、小学2年生の国語教科書に載っている。

「お手紙」はなんと昭和55年から小学2年生の国語教科書に掲載されている(光村図書 教科書クロニクル 小学校編)。たくさんの人に読まれてきた物語である。

 

以前の学習指導要領では、学校の国語授業で「お手紙」を読む際、登場人物(がまくん・かえるくん)の気持ちを読み取ることを求めていた。

つまり、「お手紙」を読んで、場面ごとに「がまくん・かえるくんの気持ち」を読み取ることが学習のねらいだった。

 

一方、今はさらに一歩進んだ内容になっている。

登場人物の気持ちを読み取るだけでなく「あなたが登場人物(がまくん・かえるくん)だったら、どうしますか」とこどもたちに問う。

具体的に言うと、今の学習指導要領では、「お手紙」の一場面について「自分だったらどうするか」をこどもたちが考え、がまくん・かえるくんに手紙を書くことを求める。

 

「あなたならどうする」という問いにこどもたちは答えなければならない(いしだあゆみの歌「あなたならどうする」が頭の中でこだまする)。

つまり、同じ題材を使っていても、以前よりも今のほうが国語の学習内容が難しく、深くなっている。

 

その結果、国語の授業がわからない・ついていけない子どもは増えているはずだ。

でも「国語の授業がわからない=発達障害」と安易に決めつけてはいけない。

なにせ、国語の授業内容自体が難しくなっているのだから。

以前の内容ならば授業についていけたのに、今の内容では授業についていけない、だけかもしれない。

 

「自分が登場人物だったらどうするか」という問いは、自分で考えて回答しなければならない「答えがない」問題だ。

ゆくゆくは、小学校高学年以降、自我が目覚めてからこの手の「答えのない問題」にじっくり取り組むのは意義があるだろう。

 

けれども、小2の段階、自我がまだ確立していない段階でこの手の問題を解かせるのはどうなのだろう。

考える力がついていない段階で難しい問いに対する答えを求められても上手く答えられない。もっと言えば、作文自体が嫌いになる可能性だってある。

 

自戒をこめて言うが、なんでも「早くからやれば上手くできるようになる」とは限らない

深い思考を必要とする問いは、こどもが年齢を重ねて自我が成長してからでいい。

 

公立学校の授業が一部のエリート(成績上位層)しかついていけない内容になるのは嫌だな。

 

教えたことをそのままスポンジのようにぐんぐん吸収できる一部のエリートを育てることを優先する教育に舵を切ったのだろうか。

学校の授業では、その他大勢のこどもたちが「書く」「話す」「読む」「聞く」を身に付けることを大切にしてほしい。