昭和は遠くなりにけり
私の母(80代)は、幼い弟を背中におんぶしながら外で遊んでいたそうだ。
母は、仕事で忙しい両親に代わって弟の子守を任せられていた。
私の夫の父も同じように、幼い妹を背中におんぶして野原に連れて行き、妹を野原に置いたまま家に帰ってきたそうだ。
「妹は?」と母親に聞かれ、野原に妹を置きっぱなしにしてきたのを思い出して、急いで妹を連れに戻ったそうだ。
私の祖父も同じように、幼い妹を背中におぶって遊びに行き、草っぱらに置き忘れて自宅に帰ってしまい、母親から大目玉を食らったそうだ。
今では考えられないような、のどかな話である。
昔は幼い妹や弟を背中に背負って遊びにでかけるこどもが普通にいたということだ。
私の世代になると、もうそんなことをするこどもはいなかった。
おじさん、只今帰りました
私の母は戦争中、まだ小さなこどもだった。
けれども、私の母の年齢だと(80代前半)小さい頃に経験した戦争の直接的な思い出はあまりないようだ。
小学校入学前の小さなこどもだと、戦争中に経験した体験を「つらい」と認識しないまま、そのまま受け止めるのかもしれない。
ただ、戦後数年経って、いとこがシベリア抑留から帰ってきたときの様子が一生忘れられないと母は話す。
茶色くて分厚いマントをまとった兵隊さん(母のいとこ)が「おじさん、只今帰りました」と、突然自宅(私の祖父の家)を訪ねてきたそうだ。
母いわく、はるか遠方から遠路はるばるようやく戻ってきた甥と久し振りに対面して「帰ってきたのか。良かった、良かった。」と嬉しそうな父(私の祖父)の顔が一生忘れられないそうだ。
今から70年ほど前の話である。
わたしが産まれたのはそれから20年ほど後である。
わたしが産まれ育った頃には、戦争の爪痕はほとんど感じられなかった。
たった20年の間に世相はすっかり変わったのだ。