男の顔は履歴書
東京オリンピックの開会式の楽曲を担当するミュージシャンの小山田圭吾氏が、学生時代、障害をもつ同級生に対していじめを行っていたことを雑誌で面白おかしく取り上げていたことが物議を醸し出している。
そのいじめの内容はおぞましいものだ。
しかも、障害をもつ同級生から来た年賀状を掲載し、小山田氏は雑誌で嘲笑していたとのこと。
雑誌では、字を書きやすいようにと保護者が手伝って線を引いてもらったうえで障害を持つ同級生が頑張って書いた年賀状を、小山田氏はバカにしていたそうだ。
自分の息子が少しでも同級生と仲良くできるようにと年賀状作成を手伝った保護者の気持ちを考えると腸が煮えくり返る。
そのうえ、そのいじめ記事を担当していた編集者は今では、その記事が掲載された雑誌の編集長になっているらしい。
だいぶ前の話とは言え、久し振りに言いようのない嫌悪感を感じる話題だ。
開会式での楽曲披露は辞退したほうがいい。
辞退して当然だ。
いや、こういう問題は海外では大いに問題視されるだろう。
当たり前だ。
ワシントン・ポストがすでにこの件を報道している。
結果として、小山田氏はおそらく楽曲披露を辞退する羽目になると推測する。
ただ、小山田氏のいじめ記事はだいぶ前から知られていたものらしい。
業界の人は、小山田氏のいじめ記事を知っていた人も多いはずだ。
東京オリンピックの開会式の楽曲担当を決める際、なぜ小山田氏を選出するときに「このいじめ問題」が問題視されなかったのだろうか。
とっちゃん坊や
この話題が取り上げられてから、小山田圭吾という人の写真を久しぶりに見た。
今まであまり意識したことはないが、小山田氏はわたしとほぼ同世代だ。
小山田氏が昔「コーネリアス」というバンドをやっていた頃から30年以上経っている。
だから、当時の面影は無くてもおかしくはない。
小山田圭吾という人の現在の写真を久しぶりに見て、ちょっと衝撃だった。
なんというか「とっちゃん坊や」という言葉を久しぶりに思い出した。
昔より老けたとか老けていないとかそういう問題ではない。
この人はこの30年間何をしてきたのかという印象を持った。
「アーチストは一生年を取らない」と言う人もいるかもしれない。
けれども、年齢とともに深みを帯びるアーチストだっている。
男の顔は履歴書だ。
50歳を過ぎれば、その男がどういう生き方をしてきたかが顔に現れるものだと改めて感じた。
自分の顔にも生き方がにじみ出ているのかもしれない。
顔は嘘をつけない。