海原千里万里
わたしがまだ小さい頃、小学校に入学する前の話だ。
大のテレビっ子だったわたしは、2人組の関西の女性漫才コンビの漫才を見るのが大好きだった。
その漫才コンビは、まだ高校生くらいにみえる若い女の子たちだった。
コンビの一方は髪をおさげにして結んでいた。もう一方はそのおさげのお姉さんよりも背が高く、年下に見えた。
家族の話からすると、この漫才コンビはどうやら姉妹らしかった。
わたしとはさほど年が離れていない、若いお姉ちゃんたちの漫才コンビだったから、子ども心に親近感を持ったのかもしれない。
当時、その女性漫才コンビは毎日見ない日はないくらい、売れっ子だった。
まだちいさな子どもだった私は、彼女たちが何という名前のコンビなのか知らなかった。
そして、彼女たちが漫才で何をしゃべっていたのか、よく分からなかった。
けれども、彼女たちのとにかくテンポが良い話を聞いていて、わたしは、
「なんて面白いおねえちゃんたちなのだろう」
と思っていた。
とにかくブラウン管に彼女たちが登場するのをわたしは毎日楽しみにしていた。
けれども、なぜだか分からないけれど、いつの間にか、おそらくわたしが小学校に入学する頃には彼女たちをテレビで見かけることはなくなった。
彼女たちがなんでテレビに出なくなったのか、こどもだった私は知らなかった。
「あの面白いおねえちゃんたちはどこに行ったのだろう?」と思いつつ、当時小学生になったばかりだったわたしは、いつの間にか、その女性漫才コンビのことをすっかり忘れてしまった。
海原千里・万里
それから40年以上の時が経った。
ある日、テレビを見ていたら懐メロの番組がやっていた。
そこには、懐かしい、関西のあの女性漫才コンビの姿が画面に映っていた。
その女性漫才コンビの名は「海原千里・万里」ということを知った。
そして、もっと驚いたことに、「海原千里・万里」の妹のほう(海原千里)は、大物司会者「上沼恵美子」だったのだ。
道理であの話術!
海原千里・万里のあの天才的な面白さは、上沼恵美子だからこそだったのだ。
海原千里・万里が突然テレビから姿を消したのは、海原千里(上沼恵美子)が結婚により一度引退したからだったのだ。
関西の人は「なんでそんなことを知らないの?」と思うかもしれない。
今調べてみると、海原千里万里が売れていた頃の人気は全国区だった。
関東に住むわたしでも、当時、テレビで彼女たちの漫才を見ることができた。
ただ、海原千里がいったん引退した後に上沼恵美子として復帰してからは、上沼恵美子はしばらく関西中心に活動していたようだ。
たぶんわたしは、紅白歌合戦の司会を上沼恵美子が担当するまでは、彼女をブラウン管で目にすることはなかったはずだ。
だからこそ、海原千里=上沼恵美子だと、わたしは気づかなかった。
それにしても、本当に面白いものというのは、こどもには意味が分からなくてもやっぱり面白いのだ。
たとえ意味が分からなくても、海原千里・万里の漫才というのは、まだ小さかったわたしを釘付けにするほど面白かった。