(読書感想)久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった(著者:久米宏)
久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった
初版:2019年
出版元:世界文化社
著者:久米宏
この本は、フリーアナウンサーの久米宏(登場人物は敬称略)の自伝ともいえる本だ。
この本の冒頭にあるように、この本には久米宏の仕事の軌跡が詳細に書かれている。
アナウンサー等の「喋り」の仕事に就きたい人にとって、この本は参考になるだろう。
それだけではない。
久米宏の仕事への考え方・取組み方が詳細に書いてある。人と関わる仕事に就く人にはこの本は参考になる。
この本はまるでスルメみたいな本である。
スルメを噛めば噛むほどうま味が出るように、この本を何度も繰り返して読んでいくうちに味が滲み出てくる。
久米宏という人
久米宏がニュースステーションの司会を降板してから20年近く経つ。
報道番組『ニュースステーション』のメインキャスターを降板したのち、久米宏はメインの活動の場をラジオに移した。
ここ20年近く、久米宏はラジオの人だった。
だから今の若い世代の人には「久米宏」と言ってもピンと来ないだろう。
一方で、70年代より前の世代にとって久米宏は『ザ・ベストテン』や『ニュースステーション』の司会であって、誰ひとり知らない人はいない。
テレビっ子だったわたしは、久米宏が出演していた『ぴったしカンカン』・『ザ・ベストテン』・『料理天国』・『久米宏のTVスクランブル』・『ニュース・ステーション』・『おしゃれ』をどれも欠かさず観ていた。
中でも『ザ・ベストテン』・『久米宏のTVスクランブル』が思い出深い。
わたしの子ども時代から20代にかけては、久米宏が猛烈に忙しかった30代~40代と重なる。
一番脂が乗っている久米宏をテレビの画面を通してわたしの世代は見ていたのだ。
この本には、久米宏にまつわる本当に盛りだくさんのことが書かれているので、ここですべてを紹介することは不可能である。
とにかくこの本を一読することをおすすめする。
今回は、印象深かった点だけをピックアップして紹介する。
TBS入社面接
TBSのアナウンサー試験を受けた際、面接で言いたい放題・面接官を小馬鹿にするような応答をしたのに最終面接まで残ったそうだ。
生意気な若者でも、光る才能を持っていれば合格させる度量の深さが当時のTBSにあったということか。
ラジオとテレビの違い
「ラジオは聴覚に集中すればよい」のに対して、「テレビは視覚などいろいろな感覚に気を配る必要がある」そうだ。
わたしはこの手の仕事に就いたことがないので想像もつかないから、こういう話は面白い。
久米宏としての色(先輩アナウンサー・城達也や宇野重吉などの一流ナレーター)を研究
久米宏はTBSに入社早々体をこわし、しばらく休んでいた期間がある。
その休んでいた期間にいろいろと考えたり、先輩アナウンサーやナレーターの喋りを研究することで自分の個性を追求できたそうである。
人間万事塞翁が馬、である。
この本で久米宏自身も述べているが、『ニュースステーション』で久米宏が耳に挟むペンの色が洋服の色に合わせてあったりと、久米宏という人は女性的な感性があるのが面白い。ファッション関係の仕事をしていた奥様のサポートも大きかった。
永六輔がお手本
体調が戻ってからは久米宏はしばらくラジオの仕事中心だったそうだ。
ラジオ番組で共演した永六輔の一挙手一頭足から技術を盗もうと必死だった話や、ラジオ番組で体当たりレポーターをしていた頃の話、『歩く放送事故』と呼ばれた平野レミとの共演の話などが面白い。
西川きよし師匠や萩本欽一からはプロとしての心構えを勉強させてもらったとのこと。
『ザ・ベストテン』を降板した件
わたしは伝説の歌番組『ザ・ベストテン』を夢中で観ていた世代である。
久米宏は『ザ・ベストテン』の司会を1978年から1985年まで務めていた。
この本で久米宏は『ザ・ベストテン』を降板したのは、同年の秋に開始する報道番組『ニュースステーション』の準備のためと語っている。
久米宏が『ザ・ベストテン』を降板した時期(1985年)はベストタイミングだったと、わたしは思う。
わたし自身、小学生の頃は夢中で観ていた『ザ・ベストテン』も、久米宏が司会を降板した1985年には中学生になり、アイドル中心の出演歌手に興味を失いつつあった。
1985年には松田聖子が結婚し、たのきんや中森明菜の人気がひと段落しつつあり、時代はレベッカやボウイなどのバンドブームが始まりつつあった。
「嫌われてもいい」という心得
「4割の人に嫌われても6割の人に好かれればいい」という言葉が心に残る。確かに、皆から好かれる人は、逆を言えば誰からも愛されていないということだ。
「6割に好かれれば良い」という考え方からして久米宏という人は局アナではなくフリーで活躍してこその人なのだろう。
横山やすしとの件
わたしは日曜夜8時からの『久米宏のTVスクランブル』を欠かさず観ていた。
この番組の売りはなんといっても横山やすしとの共演だった。
横山やすしが酔っぱらって番組に遅れてきたり、途中で勝手に帰ってしまったりするスリリングな番組だった。
この本でも触れられているが、吉本興業の木村元専務は著書で、横山やすしは喋りのプロを自認していたのにしゃべりで久米宏に負けたので、そういった行動をとるしかなかったと思う、と述べているそうだが、あながち間違いではないと思う。
横山やすしが『負けた』と思うほど、当時の久米宏のしゃべりは脂が乗っていた。
ニュースステーション
久米宏にとって『ニュースステーション』はやはり生涯忘れられない仕事だったようで、『ニュースステーション』についてはこの本で多くの頁が割かれている。
他局で同じくニュース番組の司会をしていた筑紫哲也は司会を続けながらパーティーなど社交の場に姿を現し続けたそうだが、久米宏は『ニュースステーション』を担当している間、パーティーや講演などに出席するのは極力避け、ひたすら仕事場と自宅を往復する生活をしていたそうだ。
そんな久米宏を筑紫哲也は『修行僧のようだ』と評したそうだ。
確かにそういうストイックさが久米宏にはある。
久米宏はあくまで「自分は司会者」というスタンスでいたかったが、報道番組『ニュースステーション』を続けるうちに、半ジャーナリストとしての扱いにどうしてもなっていくことが相容れなかったそうだ。
活動の場をラジオに移す
久米宏がニュースステーションをやめたのは2004年。
これ以降の久米宏のメインの活躍の場はラジオになった。
今年(2022年)で久米宏は78歳になるそうだ。
久米宏がもうそんな御年になったとは信じられない。
久米宏は60歳でニュースステーションを降板したのちテレビに出演する機会が激減したため、わたしの久米宏の印象は60歳のままで止まっているからなのだろう。