NHK「ファミリーヒストリー」草刈正雄を見た感想

「神回」だったと話題のNHK「ファミリーヒストリー」草刈正雄(以下敬称略)の回を見た。

私は放送前から予告編を見て、今回の放送を心待ちにしていた。

実際、この回の放送はその予想どおり、非常に心に残る内容だった。

 

草刈正雄の生い立ち

草刈正雄は、太平洋戦争の後、福岡に駐留していた米軍の兵士の父親と日本人の母親との間に生まれた。

草刈は母親からは「父親は朝鮮戦争でなくなった」と聞かされていたそうだ。

しかし、入念な調査の結果、草刈の父親は朝鮮戦争ではなくなっておらず、2013年まで存命だったことが分かった。

父親の写真は、草刈の母親がすべて焼いてしまったとのこと。

恋人の写真をすべて焼いてしまうほどの覚悟がないと女手ひとつで息子を育てられなかったのだろう。

母親の決意を感じるエピソードである。

 

母ひとり子ひとりの生活

母ひとり子ひとりの草刈の幼少時の生活は困難を極めたそうだ。

間借りしていた4畳半一間の部屋がまだ残っており、大家の方がその部屋を公開してくれた。

草刈の幼少時の写真の一枚は、その部屋の窓辺で撮影されたもののようだ。

今は物置になっているその部屋を見ると、当時の生活がしのばれる。

草刈は上京してからも都立の定時制高校に編入し、そこをきちんと卒業している。そんなところに、草刈の真面目な性格が表れていると思う。

当時は、昼間は働きながら定時制高校に通う高校生はたくさんいたのだ。

今回の番組でも、草刈と同じ境遇の同級生がインタビューにされていた。

生活は苦しいながらも、似たような境遇の友人がいたことは心の支えになったと思う。

 

草刈の父親は2013年に亡くなっていた

今回の調査の結果、残念ながら草刈の父親はなくなっていた。

若い頃の写真を見ると、草刈の父親は草刈によく似たチャーミングな男性だった。

ただ、父親の姉(父方の叔母)が97歳(2023年現在)でご健在で、番組の最後は、草刈が渡米して叔母と従兄弟と会う感動的な場面で番組の幕は下りる。

叔母も従兄弟も草刈正雄にそっくりで、特に、叔母は草刈正雄と親子なのかと思うほど、よく似ていた。

感動的な話だったので再放送を望む。

なお、続編が放映予定であることが、番組の最後に明らかになった。

 

叔母「許してくれる?」

番組で草刈と会った叔母は開口一番「私を許してくれる?」と話していた。

叔母にあたる人は、敬虔な南部のキリスト教信者だと感じた。

南部の軍人一族であり、70年前は若い女性の地位はまだまだ低く、有色人種への差別も残っていたに違いない。そのような状況で叔母はなすすべがなかったのだろう。

叔母は晩年になって自分の息子(草刈にとって従兄弟)に「従兄弟がいること」を打ち明けた。それがきっかけで、従兄弟が番組からの手紙を受け取ったとき、従兄弟は、自分の母親が「従兄弟」だと言っていた人物が草刈正雄なのだとピンときたそうだ。

インターネットでMasao Kusakariと検索すればたくさんの写真を見ることができる時代である。

従兄弟は検索でヒットした草刈の写真を見て、草刈が親族によく似ており「従兄弟に違いない」と確信したそうだ。

草刈の存在が明らかになってから「体力が弱っていた高齢の母が元気を取り戻した」と草刈の従兄弟は言っていた。

 

即座にDNA鑑定するところがアメリカっぽい

民間企業が提供するDNA鑑定サービスでDNA鑑定したところ、草刈と従兄弟の血縁関係の可能性は97%で、ほぼ間違いなく親族であることが証明された。

速やかにDNA鑑定したり、DNA鑑定の結果をメールで受け取れたりするところがアメリカっぽい。

 

番組の感想

戦後、草刈と同じような境遇のこどもたちが日本中に居たはずだ。

70年経っても自分のルーツを知りたい気持ちをもちつづける「重み」を感じざるを得なかった。

草刈が生まれた当時のことを知る人は現在、叔母だけなのだろう。

もしかしたら、母親違いの兄弟が居るかもしれない。ただ今回の放送ではその点については何も言及はなかった。

草刈が生まれた当時幼児だった従兄弟は、草刈の存在に対しては何のわだかまりもなく、日本で著名な俳優をしている従兄弟(草刈)に対して好意的にみえた。

放送に登場した父方の家族は、草刈に対しておおむね好意的な人たちばかりだった。

草刈の父親が亡くなっており草刈が父親に会えなかったのは残念だったが、有色人種に対する差別意識が薄くなった今の時代になってから父親の家族に会えたのは良かったのかもしれないと思った。