いまだに行われている「給食の完食指導」

新学期からしばらくの間、学校に行きたくないとこぼしていた次男。

それでも、次男は慣れたのか、今のところ、学校に通い続けている。

でも、いまだに「学校がつまらない」と次男は言っている。

 

いまだに続く「給食の完食指導」

そんななか、2学期になって今度は、担任の先生による「給食の完食指導」が始まった

次男のクラスでは「食育」の一環として『クラス全体の残飯を減らす』ことを目標にしているらしい。

最近は、環境保護のため「フードロスをなくす」という名目で、給食の完食指導が行われるようだ。

次男の話によれば、たくさん食べる子にはおかわりを強要し、たくさん食べられない子には完食を求める、らしい。

「今日は、〇〇ちゃんが最後、魚が食べられなかったんだ」という話が毎日、次男の口から出る。

ということは、完食できない子に対して「全部食べろ」というクラス全員からの圧力がかかっているのだと思う。

気の毒な話だ。

次男は好き嫌いが少なく、それなりにきちんと食べるほうなので、給食を完食すると、担任の先生からおかわりを盛られるとこぼす。

そのせいだろうか、最近、次男の体重が増えて、体つきがふっくらしてきたようにも思える。

このままいくと肥満児になるんじゃないかと、少々、心配だ。

 

食欲は生理的欲求

言うまでもなく「食欲」というのは生理的欲求である。

食べられないのに無理して食べさせるのは、生理的欲求に反する行為を強要しているのだから、本人にとって相当つらいことだ。

生理的欲求だからこそ、完食を強要されることは、例えば「たくさんの宿題を出されること」よりもつらいことかもしれない。

給食を無理やり食べさせられた経験から、会食恐怖症(他人といっしょに食べることを嫌がる)になる子どももいる。

私自身は幸いなことに、完食指導を強要する担任の先生にあたったことがなかった。

それでも「牛乳は全部飲む」という暗黙の了解があった。

牛乳が飲めない子が毎日、給食の時間が終わっても昼休みにひとり残されて、いやいや牛乳を飲んでいたのを思い出す。

あれから50年近く経つのに、いまだに「給食の完食指導」が続いているなんて、本当にガッカリする。

 

たくさん食べられない子もいる

一度にたくさん食べられない子が世の中には沢山いる。

病気が原因でたくさん食べられない子だけでなく、病気ではなくても、体質的に一度にたくさんの量を食べられない子や、味覚に敏感で苦手なものがどうしても食べられない子が世の中にはたくさんいる。

たとえば、未熟児で生まれたお子さんは元来、食が細い場合が多い。そういう場合、食べる回数を1日5回に増やして小分けして食べるように工夫しているご家庭もある。

また、代謝効率が良い体質の人も世の中にはいる。そういう体質の人は、食べる量が少量でも健康を保つことができるから、たくさん食べる必要がない。

食べ方・食べる量は本当に、人それぞれである。

給食で一律に「完食」を求めるのは、もう、やめてほしい。

 

小学校の質の低下が原因かも

長男が通った小学校では、給食の完食を強要する先生にあたったことは一度もなかった。

長男が通った小学校では「自分が食べられる量を調整して盛ること」がまず大事で、こどもが各自、食べる量を調節するように指導していた。

その話を聞いた当時「今の小学校は昔と比べて配慮が行き届いている」と感心した。

ところが、次男が通う小学校では、今どき、時代に逆行する「給食の完食指導」を行う教師がいるという現実。

「給食の完食指導の問題点」が教員間で共有されていない点が問題だと思う。

「給食指導はどうあるべきか」を学校全体で議論したことがないのだろう。

振り返ってみると、長男が通った小学校では、たとえば、特別支援教育について先生方が勉強会を開いていたりと、こどもたちがより良い教育を受けられるよう、教員間で情報を共有する機会を作っていたと聞いた。

ところが、今の小学校はやることが多すぎて先生が忙しすぎて、情報を共有する機会がないのだろう。

そして、今は、経験豊富な先生が大量に定年退職する時期で、指導のコツがベテランから若手に引き継がれていないのだろう。

小学校の質の低下は、こういうところにも表れているのかもしれない。