なぜ少子化を食い止められなかったのか
少し前に、「なぜ少子化を食い止められなかったのか」について読売新聞が取り上げているのを読んだ。
日本が高齢少子化になることは30年以上前から予測されていたことだ。
政府は少子化を食い止めるために、保育所の増設や育児休業の取得促進を行ってきた。
けれども、現実は、現在まで少子化を食い止めることができなかった。
少子化を食い止められなかった原因のひとつは、政府がこれまでに少子化対策として取り組んできた施策には、育児に専念して子育てしたい女性への積極的なサポートが欠けていたことだと私は思う。
政府は「出生数が増えるならばどんな施策でもがむしゃらに実行する」という積極性に欠けていたようにみえる。
確かに、子育て支援センターなどの子育て支援施設の拡充を政府は進めてきた。
子育て支援施設が充実すれば、育児に専念している女性は助かる。
けれども、子育て支援施設の拡充というのは、育児に専念して子育てしたい女性だけに向けて行われたものではない。
「女性を労働力として働かせたい」という願いと「子どもをたくさん産んでもらいたい」という願い、この2つの願いをいっぺんにかなえようとしたのが、今までの政府の施策だ。
だからこそ「育児に専念して子育てをしたい」という女性は政府にとっては「子どもを産む」だけで「稼がない」から片手落ちなのだ。
「育児に専念して子育てをしたい」女性に特化したサポートは不要と政府は判断したのだろう。
3人4人産んでいる女性はそれなりにいる
ところが、実際に生活していると、子どもを3人4人産んでいる女性は周りに結構居る。
大まかな感触として、子育て中の女性の2割くらいは子どもが3人以上居ると感じている。
次男が通っている公立幼稚園にも、子どもが3人または4人いるという女性が当たり前のように居る。
彼女たちはもちろん、国の手厚いサポートがあったから子どもを3人4人産んだ人たちではない。
彼女たちは、育児に専念することを自ら選び3人4人と子どもを出産した人たちである。
外で働くよりも、子どものそばに寄り添い、子どもの成長を見守ることに喜びを見いだせる人たちである。
幼稚園という場所は昔から、育児に専念して子育てをしたい保護者が多く居る。
私などは、小学校入学前の子どもが一度に3人も4人もいるような環境で子育てするのは耐えられない。
だから彼女たちのように育児に喜びを見い出せること自体、本当に素晴らしいと思う。
けれども、育児に喜びを見い出せるような女性を積極的にサポートする施策は近年、ほとんどないに等しい。
子ども3人目以降は認可保育所の利用料を無料にする自治体はある。
けれども、育児に専念して3人以上子どもを育てている女性に特化したサポートを行っている自治体はあまり聞いたことがない。
1人の女性が出産する子どもの数の変化
出生率低下の半分は「結婚しても産まなくなった」からというサイトには「45~49歳の妻の児の出生数」のグラフがある。
このグラフによれば、1992年から比べて2015年は、
・45~49歳の妻のうち子どもがいない(0人)割合:約4%→約10%に増加
・子どもを1人産んだ人の割合:約9%→約18%に増加
している。
対照的に、
・子どもを2人産んだ人の割合:約58%→約52%に減少
・子どもを3人産んだ人の割合:約25%→約18%に減少
・子どもを4人産んだ人の割合:約5%→約3%に減少
しているのが分かる。
つまり、1992年と2015年とを比較すると「子どもがいないかまたは1人である妻が増えていて、子どもを2人以上産む妻は減っている」ことがわかる。
結果として妻が産む子どもの数は全体的に減っているのだ。
要は、子育てに専念する女性をサポートする気がなかったということ
育児に専念したいと考える女性が3人目4人目を出産することを積極的にサポートする施策、たとえば、
・仕事をしているか否かに関わらず3人目以降は育児奨励金を毎月支給する
とか、
・3人目以降の高校大学の学費を原則無償化する
とかをしていれば、子育てに専念したい女性がもう一人出産することになり、少子化はもう少し食い止められたかもしれない。
つまりは「女性を労働力として活用したい(女性に稼いでほしい)」と「女性に子どもをできるだけ多く産んで欲しい」という二兎を追った結果「女性を労働力として活用する」という一兎しか得られなかったということだ。
よくよく考えてみれば、子どもを持たずに稼いでいる女性(労働力という一兎だけを得る女性)が増えていて、子どもを持たずに稼ぐことについては「個人の生き方の自由」ということで批判されることは少ない。
これに対して、稼がずに育児に専念する女性(子どもを産み育てるという一兎だけを得る女性)に対して「なんで稼がないのか」と責める風潮がある。
こういう風潮には違和感がある。