外遊びとゲーム

幼稚園降園後、次男を連れて、近所の公民館に遊びに行った。

そこの公民館は、地域のちょっとした集会所と運動施設の両方が備わっている。

そこの運動施設にはグラウンドがある。

グラウンドは、平日昼間の時間帯には子どもたちが自由に使えることになっている。

 

外遊びしない子どもたち

公民館には子どもたちがたくさんやってくる。

けれども外のグラウンドで遊ぶ子どもたちはあまりいない。

今日もグラウンドで遊んでいるのは私と次男の親子連れだけ。

「子どもたちの外遊びの場が少ない」とよく話題になる。

けれども、外遊びできるグラウンドがあっても子どもたちは外で遊ばない

外で遊ぶ代わり、子どもたちは集会所に集まって、みんなでタブレットをみたり、ゲームをしたりしている。

少年スポーツやクラブスポーツが盛んになってから久しい。

体を動かすのが好きな子どもたちは小学校低学年から少年スポーツチームやクラブチームに加入し、専用のグラウンドでスポーツにいそしむようになる。

そうなると、運動好きの子どもは公民館や地元の公園には来ない。

だから昔のように「運動好きな子どもたちが率先して子どもたちの集団を率いて外遊びをする」ことがなくなる。

運動好きな次男が小学生になったら、たくさん外遊びしてもらいたい。

けれども、外遊びする子どもたちの集団がないならば、体を動かすのが好きな子どもたちはスポーツチームに入るしか術がないのだろうか。

 

ゲームをやりながら友だちと話すこと

だいぶ前から気になっていることがある。

子どもたちがゲームやタブレット・スマホを操作しながら友だちと平然と話していることだ。

友だちと一緒に公園に遊びに来ているのにも関わらず、である。

昨日も、小学校高学年の女の子2人連れが公園にやってきた。

そこで、ひとりの女の子がゲームをやりながら、もうひとりの女の子と会話をしていた。

ゲームをやっている女の子も、話しかけられた女の子も、一方がゲームをやりながら他方と会話を続けることに違和感を感じていないようだ。

私は古い人間なのか、友人に限らず、他のことに気をとられながら人と話すのはとても失礼だと感じる。

ゲームやスマホをしながら人と話をすれば、話し相手から注意(気)が逸れるのは当たり前だ。

気が逸れた状態で会話すること自体が失礼だとどうしても感じる。

今のところは「ゲームやスマホをやりながら他人と話すことは非礼」というのが社会人としての一般的な認識だろう。

子どもたちがゲームをやりながら友人と話すのが当たり前の認識で成長していけば、大人になったときには「それ=ゲームをやりながら友人と話す」ことがすっかり当たり前の感覚になるのだろう。

スマホをやりながら他人と会話することに嫌悪感を示す大人はまだまだ多い。

子どもたちは大人になった時にはじめて、スマホをやりながら他人と会話することが失礼だと感じる人種と出会うことになる。

とはいうものの、最近、スマホをいじりながら会食することに抵抗がない人も増えている。

人々の認識は変わりつつある。

そう遠くない将来、ゲームやスマホをやりながら他人と会話するのが当たり前の世の中が来るのかもしれない。