女子校に向かない女子
そういえば、わたしは昔、
ある難関女子大のゼミに参加したことがある。
その難関女子大のゼミに参加して驚いたことは、
難関女子大のゼミの学生(もちろん女子学生)が一人残らず「きちんとしていること」だった。
難関女子大のゼミ生にとって「準備をきちんとすること」がまず大前提。
この難関女子大では、
「独創性が高い研究をすること」よりもまず「きちんとすること」が最優先、
だと感じた。
研究=なによりもまず「独創性が高いこと」がイの一番に大切だと思っていた私は、
その難関女子大のゼミに参加して面食らった。
わたしは当時、共学の大学に通っていた。
女子生徒の中では、わたしは几帳面なほうとはいえなかった。
でも、平均的な男子学生に比べれば随分「きちんとしている」と自分で思っていた。
けれども、
ガサツな男子学生がいるからこそ、
わたしは「きちんとしたほう」に属しているのであって、
女子ばかりならば、わたしは「きちんとしたほう」には入らないどころか、
「だらしない」と烙印を押されるに違いない
ということに気づいた。
仮に、
この難関女子大のようなお堅い女子大に入学していたら、
こんなに「きちんとしている」ことを要求されて、
わたしはそうとう息苦しかっただろう。
今さらながら、わたしは「女子校に向かない女子」だと気づいた。
きちんとした女子校に向かない女子
中学受験を経て入学できる学校の中には、
「躾がきちんとしていること」を売りにしている女子中学がある。
カトリック系の女子中学に多い。
「きちんとしていること」を要求されるのが苦手な「女子校に向かない女子」は、
「きちんとしていること」を売りにしている女子校に通うのはリスクが高い。
「きちんとしていること」を要求されるのが苦手な女子は、
ガサツな男子がいる共学のほうが良い。
案外、こういった校風への違和感は精神的な負担になるものだ。
ガサツな私はそう思う。