(読書感想)徳川おてんば姫(著者:井手久美子)

今日は、徳川おてんば姫(著者:井手久美子)をご紹介する。

「徳川おてんば姫」は徳川慶喜の孫娘で、
高松宮妃喜久子殿下の妹、井手久美子氏の自叙伝である。

分かりやすく丁寧な文体で書かれているので、
のめり込むように一気にサクッと読めた。

ぜひ一読をおすすめしたい本である。

お姫様として生まれ、広大な屋敷で育った著者の、
2回の結婚を経た波乱万丈の人生が語られている。

当初は文芸春秋社から出版の予定だったが、
執筆に時間がかかりすぎて、
東京きらら社から出版されることになったそうだ。

著者はこの本を書き上げたのち、程なくしてお亡くなりになった。

 

著者:井手久美子氏

著者は、徳川慶喜の七男である徳川慶久氏の末娘として生まれた。

著者が生まれる半年前に徳川慶久氏が急死したため、
著者は、父親である徳川慶久氏と会ったことがない。

そんな境遇を悲観することなく淡々と生い立ちが語られているのが印象的だ。

 

広大な屋敷と多くの使用人

著者が幼い頃に住んでいた屋敷は、
3400坪の徳川慶喜邸だった。

こどもひとりひとりにお付の人が付いていて、
使用人が50人もいたそうだ。

年子の姉やたくさんの使用人とともに、
著者は幼少時、広大な御屋敷で楽しくのびのびとした暮らしをしていたことが
よく伝わってくる。

 

姉は高松宮妃喜久子殿下

著者の父親である徳川慶久は37歳で亡くなった。
そして母親も40代で亡くなったため、
11歳年上の高松宮妃喜久子殿下が母親代わりだったそうだ。

高松宮殿下が父親、そして喜久子妃殿下が母親として、
支えて頂いたとの記載が本書にある。

高松宮ご夫妻ともに、
著者を娘のように可愛がっていたようで、
著者に関する記載が『高松宮日記』にも残っている。

 

2度の結婚

最初の結婚のお相手は松平家の跡取り(まるで俳優のような美男子)だったが、
戦死されたとのこと。

2度目の結婚の相手は、最初の結婚のご主人の親友だったそうだが、
再婚の際、3歳の娘は松平家の跡取りとして松平家で育てられることになり、
手放したことがつらかったと述べている。

徳川家に生まれた者として
家督を継ぐ重要性が良く分かってはいたものの、
可愛い盛りの実の娘と別れるつらさが淡々と描かれていた。

 

宮家の結婚について

この本が出版されたのは2018年6月。
ちょうど眞子さんのご結婚問題が過熱していた時期だ。

この本には眞子さんを名指しした記載は一切ない。

著者は幼いころから「嫌い」・「やりたくない」・「美味しくない」などの
人に不快を抱かせる言葉は決して用いてはならないと厳しく躾けられたそうだ。

そのせいか、眞子さんをはじめとする今の皇族を直接非難する記載はこの本にはない。

一方、著者はこの本の中で、

「ニュースなどを見ていると、妃殿下がご健在の頃と近頃とでは、時代が変わったのだと感じることが多々あります」

「ご結婚にあたり家柄が重視されるのは当然のことだと思わざるを得ません」

「何かうまくいかないことが起こるのであれば、そこに理由があるのだと、”家”に翻弄されてきた立場だからこそ強く感じます」

と述べている。

眞子さんの名前は出していないが、なんとなく眞子さんのご結婚問題を想起させる意見である。

高松宮殿下や高松宮喜久子妃殿下のような方が今の皇室に居たならば、
眞子さんのご結婚問題もここまでこじれなかっただろう。

もし著者が生きていたら、
家同士の繋がりが重視された時代に育った人間として、
結婚発表時の眞子さんの対応について、どう思っただろうか。

 

公営住宅に移り住んだ理由

著者は最晩年、公営住宅に移り住んだ。
確か新聞でも、著者が公営住宅に住んでいたことを取り上げられていたのを読んだと記憶している。

ただ、公営住宅に移り住んだ理由についてはこの本にまったく書かれていない。

著者が公営住宅に移り住んだ経緯を著者の長男が語っているサイトがある。

上のサイトによれば、著者が公営住宅に住むことになったのは、
著者の息子が詐欺師に騙されて、
喜久子妃殿下から相続した6億円をだまし取られたからだそうだ。

公営住宅に住むことになっても、
著者は息子を咎めることがなかったそうだ。

なんというか、
高貴な身分に生まれた人というのは、
自らの運命が家に翻弄される覚悟を決めているかのようだ。

喜久子妃殿下といい著者といい、徳川家の女性は肝が据わっている。

 

徳川おてんば姫

著者:井手久美子
初版:2018年
東京きらら社