(徹子の部屋・視聴録)2024年2月12日(月)山本リンダ
徹子の部屋2024年2月12日(月)のゲストは山本リンダ(以下登場人物は敬称略)。
72歳の山本リンダが、昔風に言うと「ホットパンツ」姿で登場した。
モデル時代を含める、と山本リンダの芸歴は60年を超える。
今回は「狙いうち」を唄ってくれた。
「狙いうち」は阿久悠&都倉俊一コンビによるものだ。ピンクレディー世代の私たちには阿久悠&都倉俊一コンビはお馴染みだが、今の若い世代には、今の文化庁長官(都倉俊一)がこの曲を作曲したとは思わないだろう。
「狙いうち」のイントロは、ブルグミュラーの「タランテラ」の冒頭部分を彷彿させる。毒グモ(タランテラ)に刺されるイメージが「狙いうち」と共通するのだ。
山本リンダはハーフでもともとモデルだったせいか、膝上のショートパンツをはいても、いやらしく感じない。若い頃(モデル時代)の写真を見ると、リンダは膝下が長くて西洋人体型なのが分かる。
今まで、某党の応援演説をする山本リンダを駅前で何度か見かけたことがある。
応援演説で見た「実物」の山本リンダは、若い女性かと思うような格好をしていて、身長が高くてスタイルがとても良いのだ。
「どうにもとまらない」で衣装を工夫
70年代、山本リンダが「どうにもとまらない」で一世を風靡した頃、こどもたちはシャツを上にまくってへそ出して踊ったものだった。わたしも例外ではない。
「どうにもとまらない」の衣装はラテン風(スペイン)の雰囲気を醸し出すため、山本リンダ自身が工夫してへそ出しにしたそうだ。フラメンコのイメージなのだろう
そういう意味でも「どうにもとまらない」は山本リンダにとって思い入れが深い曲のようだ。一連の曲を作ってくださった阿久悠先生と都倉俊一先生に感謝していると山本リンダは言う。
今思えば、スタイルが良い山本リンダだからこそ、へそ出しのあの衣装が映えたのだ。
母の働く姿を見に行った
山本リンダの父親は朝鮮戦争で亡くなったため、母が女手ひとつで山本リンダを育てた。
今回の放送でも「母が働いている姿を見に、母の職場によく行った」と山本リンダが話していた。
当時、女手ひとつでこどもを育てていくのは、どれだけ大変だったことだろう。
当時はハーフに対して偏見が強かったから、山本リンダもつらいことがたくさんあったと思うが、いじめられて落ち込んでいた山本リンダを母親が元気づけてくれたと話す。
山本リンダや草刈正雄など、この時代のハーフの芸能人には強さがある。母が苦労して女手ひとつで育ててくれたから、何としてでも成功して母を楽にさせてやりたい、という思いで芸能活動を始めるからだろう。
山本リンダも草刈正雄も九州・小倉の出身である(NHK「ファミリーヒストリー」草刈正雄を見た感想)。
母は「あつ子(本名)はお父さんによく似ているね」と話してくれたそうだ。
山本リンダブーム再来か
最近も若いアーティストが山本リンダの曲をカバーしている。
そういえば、今までも山本リンダブームがあった。
1980年代後半には、米米Clubが山本リンダの曲を演奏するのをコンサートでの定番にしていた。
山本リンダの曲は、ステージ映えする。
忘れもしない、1980年代後半(1986年だったと思う)、わたしが高校生の頃、都庁が建つ前の空き地での米米Clubのコンサートを観に行ったとき、サプライズゲストとして山本リンダ本人がステージに登場し米米Clubと一緒に歌ったことを思い出した。
懐かしい。もう40年近く前の話である。
これからもずっと歌い続けてほしい。
徹子の部屋視聴録(俳優・歌手)
歌手
(徹子の部屋・視聴録)2022年2月16日(水)尾藤イサオ&今陽子
(徹子の部屋・視聴録)2022年8月11日(木)いしだあゆみ