ピアノ教室に思うこと【2024年】

少子化である。

ここ数年、大人やシニア層向け教室に方向転換をするピアノ教室の話を聞く。

「保護者対応が大変すぎる」ので、廃業を検討しているピアノの先生も多いようだ。

 

 

成功した音楽教室の経営者による「ピアノ教室」の経営コンサルタントに関するサイトを目にするようになった。

最近は、大手音楽教室を脱サラしたピアノ教室の経営コンサルタントのサイトもよく見かける。

ピアノ教室の経営が難しい時代になったのだ。

ピアノ教室はもはや斜陽産業なのかもしれない。

 

大人の生徒は子どもの生徒と違って受験勉強もないし進学を理由にピアノを止めることもない(転居はあるだろうが)。

大人の生徒は上手くいけば長く通ってもらえる可能性が高いから「経営的に安定」なのがシニア向けピアノ教室のメリットだ。

子どものような劇的な上達を大人の生徒には最初から期待していないので「先生からすると気が楽」ともいえる。

 

ピアノの先生関連のSNSを見ると、最近の保護者(親)に対する批判が山のように出てくる。

中には、ピアノの先生への同情を禁じ得ないような、ものすごい事例があるのは確かだ。

ただ、そういう極端なケースは「最近の親がどうか」ではなく、「人としてどうか」の次元の話である。

 

 

こう言っては申し訳ないが、最近の親に対する批判のおおむね3分の1はピアノ教室が今まであまりにも「殿様商売」だったことに起因すると私は思う。

季節の挨拶の付け届けは当たり前・発表会の謝礼やお花贈呈が慣習化している教室は今もざらにある。

親に媚びへつらわなくても授業を工夫しなくても黙っていればお客が次から次へと来たおいしい時代を知っている人からすると、最近の親は「論外」なのだろうが、現代の感覚からするとピアノ教室側にも改善の余地はある。

 

殿様商売だったのはピアノ教室に限った話ではない。

スイミングだって書道教室だってそろばん教室だって、昔は殿様商売だった。

団塊ジュニア世代が子どもだった頃は、画一的な指導により生徒がどんどん辞めても、次から次へと新規入会者が押し寄せた。

 

とはいえ、スイミングやそろばん教室は基本的に集団授業だから画一的な指導でも致し方ない。

でも、ピアノの個人レッスンというのはそもそも「生徒に合わせた指導」が王道だ。

でなければ個人レッスンの意味がない。

グループレッスンではなく敢えて個人レッスンを選ぶ側は何を望んでいるのか、考えたことはあるのだろうか。

 

素人目に見ても「生徒が減った」と嘆く前に、たとえば、

・生徒の能力・身体的特徴・希望に合わせて教本を選んでいるか?

・発表会で弾く曲は、毎年似たり寄ったりではないか?

・発表会で弾く曲は、センスが感じられるものか?

・教本には、生徒の「弾いてみたい」という意欲を掻き立てるような素敵な曲が掲載されているか?

・教本が難しくて生徒の進度が遅れがちになったとき、敢えて一時的に別の教本を使ってみる、などのレッスンの工夫をしているか?

を確認したほうがいいと思う。

 

なぜなら、この程度のことは、プロ家庭教師による個別指導では当たり前のことだからだ。

小さな子どもでも、音楽経験や素質はひとりひとり違う。

どの生徒にも同じ教本を使って同じレッスンをするなんて「甘い」と思う。

 

 

ピアノの先生がすべてを決める時代は終わった

学校の授業も、子どもの自発的な意思を尊重する方向に変わった。

学習指導要領が変わり学校でも「主体的な学び」が重要視されるようになったのだ。

使用する教本・副教材・発表会の曲など何から何までピアノの先生が決める時代はもはや「時代遅れ」だ。

 

「音楽だからこそ得られるもの」って何だろう

保護者が音楽(ピアノ)を習わせる理由はなんだろうか。

私が一番納得した見解は以下のブログに書かれている。

 

今は、習い事が多様化して、継続して何かに取り組む経験ができる習い事はピアノだけじゃない。

ピアノを習わなくたって、スイミングや野球、サッカーをやることで継続して取り組むことで上達する経験ができる。

だとすれば、ピアノ(音楽)じゃないと得られないものって何だろう?

 

上のブログに書かれているように、芸術(ピアノ)に求めるもの=「想像力」だと私も思う。

確かに、楽譜に忠実に弾くことは大切だし、それはそれで、楽器を演奏する楽しみを身に着けることができる。

楽譜から想像を膨らませて演奏表現すること自体「想像力」が養われることも確かだ。

ただそれ以上に、こどもたちには「自分で表現することの楽しさ」を知ってほしいと私は思う。

高望みだろうか。