子どもたちが歌う機会を増やしてほしい
絵本「いやいやえん」や「ぐりとぐら」の作者・中川李枝子さんの「次世代への手紙」が「生きるみちしるべ」という本に掲載されている。
「生きるみちしるべ」という本は、雑誌「ミセス」に連載されていた「次世代への手紙」を再編集したものだ。
「生きるみちしるべ」には、中川李枝子さんのほか、1920年代・1930年代生まれの多数の著名人の話が掲載されている。
「生きるみちしるべ」によれば、児童文学作家の中川李枝子さんは20歳から17年間、保育園で保育士として働いていたそうだ。ちょうど1955年から1972年にかけてだ。
中川さんが保育師として働いていた当時は、保育園や幼稚園での子どもの生活は歌から始まったという。
朝の挨拶・お片付け・手を洗うのも歌で、歌が生活に密着しているのが当時の保育園・幼稚園だった。
わたしも1970年代に保育園に通っていた。
中川さんが保育士として働いていた頃、わたしが通っていた頃の保育園は歌に満ち溢れていた。
教室には必ずオルガンが置かれていて、先生は毎日オルガンを弾いてくれた。
確かに、保育園の生活には歌が密着していた。
もちろん今の保育園・幼稚園でも歌を歌う機会があることは変わりがない。
ところが、長男・次男が園に通っていた頃に感じたのは、こどもたちの「先生の生伴奏に合わせて歌う」機会が、親世代が子どもだった頃よりも相当減っている、ということ。
先生がピアノやオルガンを弾く代わりに、ラジカセやスマホで曲を流すようになったことも大きい。
長男が最初に通った私立保育園は、教室にピアノが置いていなかったし、ピアノを弾ける先生がほとんどいなかった。
その保育園は、保育士にピアノスキルを求めない園だった。
行事の時は、唯一ピアノが弾ける若い先生がところどころつっかえながら電子ピアノを弾いていた。
「ピアノを弾ける先生が少ない」~最近はこういう保育園が増えている。
長男がその後通った公立保育園ではピアノを弾ける先生はたくさん居た。
けれども、私が昔通った公立保育園みたいに「教室に置いてあるオルガンを先生は機会があるごと弾く」という感じではなかった。
正直言って「物足りなかった」。
先生方は折角ピアノを弾くスキルをお持ちなのだから、もっともっとピアノを弾いて歌ってほしかった。
次男が通った公立幼稚園はさすがに「幼稚園」なので、教室ごとにピアノ1台が置かれていた。
けれども、次男が通った園も「幼稚園の生活は歌とともにある」という感じではなかった。
公立幼稚園の教育にはかなり満足していたけれど、ただひとつ、音楽教育については物足りなかった。
次男も年長になるとさすがに歌を歌う機会が格段に増えた。
けれども、次男が3歳児クラス・4歳児クラスの頃はコロナ禍の影響もあって、歌う機会が限られていたのが残念だった。
もちろん音楽教育に力を入れていると自負する園では、こどもたちが歌う機会が今もたくさんあるだろう。
でも、一般的な園ではこどもたちが歌う機会は昔より減っているのは間違いない。
最近は、電子ピアノすらおいていない保育園もあるという。
ピアノを習う子どもが減った結果、ピアノスキルが高くなくても保育士養成校に入学できるようになった。
こどもたちは小さい頃からもっともっと、歌を身近に感じてほしい(こどもたちには歌を歌ってほしい)。
こどもたちの国語力の低下が叫ばれて久しいが、幼少時に歌を歌う経験が減っていることも大いに影響していると思う。
こどもたちは歌を通して言葉を認識していくのだから。