葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」を思い出す【高校国語】

「セメント樽の中の手紙」という短編小説がある。

「セメント樽の中の手紙」は葉山嘉樹によって書かれた小説で、プロレタリア文学の初期の名作といわれている。短い小説なのでネット上でも読むことができる(葉山嘉樹 セメント樽の中の手紙)。

 

わたしが高校生のとき、この小説を国語の教科書で読んだ。

ちょうど高校に入学したばかり、高校1年生の頃だった。

 

70年代・80年代には多くの国語教科書がこの小説を掲載していたので、この小説を読んだことがある人はたくさんいるだろう。今も、この小説を掲載している高校国語教科書がある。

 

高校生の頃、夏目漱石の「こころ」も、芥川龍之介の「羅生門」も、国語の教科書で読んだ。そのほかにも、あまたの文章を教科書で読んだはずなのに、ほとんどのものは記憶に残っていない。

 

けれども、この「セメント樽の中の手紙」は例外である。

「セメント樽の中の手紙」ほど強い印象を残したものは、ほかにない。

 

「セメント樽の中の手紙」のあらすじを簡単にまとめる。

セメント工場で働く「松戸与三」は勤務中、セメント樽の中から木箱を見つけた。勤務がひと段落してから、その木箱を空けると、中からは手紙が出てきた。手紙の主は若い女性で、セメント工場で働く恋人が誤ってセメントの回転窯に落ちて亡くなってしまったという。女性は手紙の中で「回転窯に巻き込まれてバラバラになった恋人が混じったセメントがどんな場所で使われたのか教えてほしい」と訴える。

 

この手紙を読んだ「松戸与三」は「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打ぶち壊して見てえなあ」と怒鳴る

 

「セメント樽の中の手紙」「女性の恋人がセメントの回転窯に落ちてバラバラになった」ところや、女性が「恋人が巻き込まれたセメントがどこで使われているか教えてほしい」と手紙で執拗に訴えるところが、猟奇的でホラー小説のように感じる人は少なくない。

確かに、この箇所は衝撃的で忘れられない。そして、セメント工場での労働の過酷さが印象に残る人も多いだろう。

 

わたしにとってはそれ以上に、「松戸与三」が「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打ぶち壊して見てえなあ」と怒鳴る様子から、「松戸与三」の「短絡的ではあるけれども、素朴で正直な人柄」がわたしの心に強く残る。

 

「松戸与三」が十一時間労働で働き詰めでも、彼の稼ぎは身重の女房と子ども六人の食費に消えてしまい、飲みに行くお金は残らない。

そんな厳しい状況の下でも生まれてくる命がある一方で、思いがけない事故に巻き込まれて亡くなる命もある

 

「セメント樽の中の手紙」を読むと、そんな世の「理不尽な不思議さ」を感じずにはいられない。

彼の七人目の子どもはきっと、元気に生まれてくるのだろう。

 

「セメント樽の中の手紙」は読み手によっていろいろな解釈ができる小説である。

今の高校生にも「セメント樽の中の手紙」をもっと読んでもらえたらいいな、と思う。