(読書感想)丹波哲郎 見事な生涯(著者:野村進)
野村進氏による著作「丹波哲郎 見事な生涯」を読んだ。
タイトルからもわかるが、この本「丹波哲郎 見事な生涯」は丹波哲郎(以下敬称略)の伝記である。
400ページを超す大作である。
面白いので一気に読んでしまった。
丹波哲郎のことを覚えている人はぜひ読んでほしい。
丹波哲郎 見事な生涯(著者:野村進・講談社)
「丹波哲郎 見事な生涯」を読むと、著者・野村進氏の「丁寧で緻密な調査・取材ぶり」が手に取るようにわかる。
そして何よりも、著者・野村進氏の丹波哲郎を語る目線が温かいのが印象的である。
丹波哲郎を知っているのは、今の1980年代生まれが最後だろうか。
丹波哲郎を知らないならば、丹波哲郎が出演した映画「切腹」をぜひ見てほしい。
「切腹」は素晴らしい作品である。
主演の仲代達矢は、自分自身が出演した映画のなかで印象に残る作品に挙げている。
この本のなかでも「切腹」を中学生の頃に見たときのおそろしさを西田敏行が語っている。
丹波哲郎の晩年は「霊界の宣伝マン」としての活動が中心だった。
わたし自身「丹波哲郎は私生活を明かさない人」という印象があった。
彼の奥様が病気を患っていたことを私は当時どこかで聞いて知っていた。
「丹波哲郎 見事な生涯」には、丹波哲郎の生い立ちから始まって、俳優時代、霊界に関する活動、そして私生活にまで深く切り込んでいる。
丹波哲郎は千百年以上続く薬師の一家に生まれ、祖先には学者、薬剤師や鍼灸師などがたくさんいる。
丹波哲郎の祖父である丹波敬三は東京薬科大学の初代校長であり、森鴎外と同じ船でヨーロッパに渡った。森鴎外が船上での丹波敬三の様子を記した文章も残っている。
つまり丹波哲郎はエリート一家に生まれついたのだが、祖父祖母を含む親戚からは異端者として冷遇されていた。
幼い頃、腐ったぼた餅を妹といっしょに食べたせいで兄妹ともども生死をさまよったが、皆から可愛がられていた妹は亡くなり自分が助かったことで、周りの者から冷たい扱いを受けていた。
そんな丹波哲郎を母がかばってくれたという。
丹波哲郎は「人によって態度を変えない」ことを大切にしていた。そういう丹波哲郎の姿勢は、小さい頃に周りの人から受けた扱い(妹が優遇されて本人は軽蔑される)に起因しているのだろう。
丹波哲郎のなかでやはり戦争体験が大きかったのだろう。
軍隊にいたとき丹波哲郎は重度の吃音になってしまい、指揮命令が出せない人物と判断されて戦地には送られなかったけれども、そのおかげで命を落とすことがなかった。戦後、吃音はすぐに直ったそうだ。
軍隊生活で上官だった巨人軍の川上哲治から殴られたことがこの本にも書かれている。川上哲治はいまでいうパワハラ体質で部下からは疎まれていた。
俳優時代、丹波哲郎の周りには常に人が集まっていた。
普通トップスター同志は張り合って敵対するものだ。けれども、丹波哲郎は三國連太郎・宇野重吉・鶴田浩二・若山富三郎・高倉健・松方弘樹・仲代達矢・里見浩太朗・千葉真一など、共演した数々のトップスターとも良好な関係を築いていた。菅原文太は「丹波さんはねぇ、業界の中で信頼できる人なんですよ」と渋い声で言ったとこの本には書かれている。
「自分に関わる人はすべて幸せになってもらいたい」と丹波哲郎は生前話していたという。
俳優・丹波哲郎に関する記述のなかで印象に残った箇所を2つ挙げる。
・仲代達矢が、共演した三船敏郎と喧嘩して三船が撮影現場から帰ってしまったとき、友人の中村錦之助が助っ人として代役をし、丹波哲郎と中村錦之助と仲代達矢の三人が風呂に入った。
・里見浩太朗がお土産に買ってきたぼた餅をいっしょに食べようと、丹波哲郎が「鶴田~富三郎~」と言って鶴田浩二と若山富三郎を楽屋から呼びつけた。
このほかにも、この本には俳優・丹波哲郎にまつわるエピソードが数えきれないくらい掲載されているので、読んでいて本当に飽きない。
中でも、この本の真骨頂は、丹波哲郎と3人の女性たちのエピソードだ。
丹波哲郎は、正妻のほかに、愛する女性がふたりいたことをこの本を読んで初めて知った。
3人の女性がそれぞれ違う方面から丹波哲郎を支えていた。
正妻は30代で小児麻痺(ポリオ)にかかり、以後、足の自由が利かなくなった。
正妻はテレビなどの表舞台に出てくることはなかった。
けれども、正妻は豪快な人で、麻雀を趣味にしていて監督や俳優、プロデューサーなど様々な人と丹波邸で卓をよく囲んでいた。
麻雀が縁で仕事が繋がることもよくあった。
正妻は陰ながら丹波哲郎のプロデューサーとして大いに貢献していたといえる。
そして、丹波哲郎は、自身よりも20歳近く年下の元女優とも長年交際を続けていた。
その昔、テレビを観ていたら、丹波哲郎が愛人の存在を堂々と公表しているのを聞いて私は驚いた。
正妻と別れてこの元女優と結婚しようと思っていた矢先、正妻が病に倒れてしまうという、なんともドラマチックな話である。
海外ロケなどにはこの元女優が丹波哲郎によく同行していたそうだ。
丹波哲郎からこの元女優へ充てた手紙の数々が、この本の読みどころのひとつだと思う。
丹波哲郎は、この交際相手に宛てた情熱的な手紙を何通も残している。
この本によれば、交際相手である元女優は、自らの人生を振り返って複雑な思いを抱いているようだ。
彼女がそう思うのは判る気がする。
なにせ丹波哲郎と知り合ったのは元女優が10代の頃であり、それ以降、当初は他にも思いを寄せた男性がいたようだが、一貫して丹波哲郎と歩んできた。
正妻が身体を悪くしたと聞き、別れようと何度も思ったけれども、そのたびに丹波哲郎に引き留められたそうだ。
丹波哲郎はこの元女優に対して金銭面での支援(いわゆるお手当)は欠かすことがなかった。
けれども、二十歳前後から長い間ずっと、愛人という身分ゆえ「表舞台に立てない」生活は彼女にとってつらかっただろうと想像する。
そしてもうひとり、丹波哲郎が愛した女性がいたのだ。
その女性は、丹波哲郎の霊界関連の活動を支えていた。
霊界関連の活動を支えていた女性の存在を、私はこの本を読んで初めて知った。
この本に書かれているように、丹波哲郎は80年代にはすでに「止め」のスターになっていて、似たような役柄しか回ってこなくなっていた。
丹波哲郎は、俳優以外に何かを追い求めたくなったのだろう、とこの本で著者は指摘する。
そして、丹波哲郎が新たに追い求めたいもの、それが「霊界」だったのだ。
この女性も、元女優と同様、10代の高校生の頃に丹波哲郎と出会っている。
けれども、この女性は癌により30代の若さで亡くなってしまう。
この女性の闘病に関する記述は読んでいて、なんともつらい。
この女性が闘病していたのは今から30年前以上前だが、この時代の癌の闘病は今とは異なりQOLを無視したものだ。
読んでいると、やるせなくなる。
丹波哲郎はどんな人にも分け隔てなく応じたといわれている。
実際は丹波哲郎という人は好き嫌いも激しかっただろう、とこの本で著者は述べる。
丹波哲郎は常日頃から「芝居は協力してやるもの」と言っていたそうだが、実際は我を抑えていることが多かったのだろう。
そんな丹波哲郎は、この3人の女性によって支えられていたのだ。