国公立大学の学費は値上げしてほしくない
慶應義塾の学長が「国立大学の学費を年間150万円に上げること」を提案したことが波紋を呼んでいる。
慶應義塾の伊藤公平塾長は、親戚縁者に財界の大物が多い、いわば名門の出身で「小学校(幼稚舎)から大学までずっと慶應義塾」という経歴が騒動の火に油を注いでいると思う。
つまり、この学長は「生涯一度も公教育を受けたことがない人」である。
慶應義塾の学長の発言に対して、SNSでは「庶民の大変さを分かっているのか」という意見が多数みられる。
一部の難関国公立大学に通う学生の保護者に富裕層が多いことはよく知られている。
東大生の6割が世帯年収950万円以上の家庭出身だといわれているし、国公立医学部ともなれば受験機関に頼らないと合格が難しい(国公立医学部に入学させるために早期から受験機関に通わせる家庭が増えている)といわれている。
とはいえ、地方国公立大学の学生の親は富裕層ばかりではない。
「学費が安いから国公立大学を選んだ」学生も多い。
個人的には「学生の機会平等を担保するため、国公立大学の学費は値上げしないでほしい」。
むしろ、国公立大学の学費を数十年前のレベルまで下げてもらいたい。
国公立大学には「経済的な理由で、国公立でなければ大学に通えない」学生が少なくない。
慶應義塾は私学のなかでも特殊な大学だ。
慶應義塾は大学教職員のなかで付属校出身者の占める割合がとても高いといわれている。
その大学出身の人が大学職員になる私学は多いが、小・中・高出身者が教授陣を占める大学はそう多くない。
「教授陣に付属校出身者が多い」なんてことは、国公立大学ではありえない話である。
つまり、上述の伊藤学長のように「付属校あがり」の教授が慶應義塾には少なからず居る。
上の記事に登場する理事も「幼稚舎(小学校)から大学までずっと慶應義塾」である。
好意的に解釈すれば「愛校心が高い人が大学教職員になる」といえるが、批判的に解釈すると「付属校出身者は大学教職員になるのに有利」ともいえる。
経済的に恵まれていない学生は学部卒・修士卒で社会に出ていかざるを得ない。
保護者に経済的なゆとりがなければ、私学で博士課程まで進学するのは難しい。
結果として、慶應義塾のような私学で博士課程まで進学する学生は必然的に「付属校出身者」の割合が高くなるのだろう。
はたから見ていると「多様性」が求められる流れに逆行しているように映る。
上の記事に書かれているように、付属校には「大学受験を考えなくていい教育の効果」がある。
確かにそうかもしれない。大学受験に費やす時間をそのまま学問に回すことができるのだから。
けれども「経済的なゆとりがなければ、付属校に入ることはできない」のだ。
将来の金銭的負担を考えれば、経済的なゆとりがない家庭の子弟は、高い奨学金を借金として背負って私学に行くより、学費の安い国公立大学に入学するに越したことはない。