敏感教師と鈍感教師
いままでこどもたちの担任の先生を見ていると、「鈍感」な先生ほど出世していくのだ、と感じる。
先生をバカにして「鈍感」だと言っているのではない。
「鈍感」なのは決して悪いことばかりじゃない。
今の学校は「鈍感」じゃないとやっていけない。
そう思いつつ見つけたのが以下のサイトである。敏感教師と鈍感教師が対比して描かれている。
敏感教師は初任から数年後に学校を辞めてしまうが、鈍感教師は学校現場でどんどん出世していく。
鈍感教師は鈍感だからこどもたちの気持ちに構うことなく、学校現場で生き残っていく。
次男の今年の担任はこの「鈍感教師」に気持ち悪いほど「そっくり」なのだ。
野球好きなところも同じだ。
長男・次男と多くの先生に接してきて分かったことがある。
鈍感な男性教師に「野球好き」が多いことだ(もちろん全員ではない)。
野球好きの男性教師は上からの指示に忠実に従うことを厭わないし、こどもたちを従わせることも厭わない。
先日、次男が通う小学校で個人面談があった。
個人面談で、はっきりわかったことがある。
次男の担任は「子どもたちを見ていない」のだ。
次男の担任は子どもたちでなく、上(管理職)への評価を上げることを優先するタイプだ、とはっきりわかった。
子どもたちの将来のことなどは別にどうでもよい。職員室での管理職からの評価が一番大切なのだ。
このタイプの教師は一見、熱心な教師に見える。
学習指導は丁寧できめ細かい。
うるさい保護者には、先回りしてコミュニケーションをとって、学校へのクレームを少なくする術に長けている。
でも、今年の担任も、子どもたちに寄り添おうとする気持ちが伝わってこない。
自分が担任している間だけ、うまく行っていればいい、という感じである。
4月当初からそう感じていたが、実際に担任と話してみてそう確信した。
小学校の先生方を見ていて思うことがある。
小学校の先生方は、何にやりがいを見出しているのだろう。
小学校の先生方をけなすつもりは毛頭ない。
純粋に疑問に思うのだ。
中高の先生は基本的に教科担任制だから、自分の専門とする教科の指導で生徒が伸びることを実感できる。
けれども小学校の先生は違う。多くの教科を教えなければならないから、どうしても「広く浅く」の指導になる。
「こどもたちが可愛くて」と話す先生は安心できる。
こどもたちと接すること自体に喜びを見出せているから。
でも、そういうタイプの先生は減っているのだろう。
昨年の担任も今年の担任も「こどもたちを従わせる」ことそれ自体に喜びを見出しているんじゃないかと感じる。
今はこういう先生しか残っていかないのだろうか。
小学校高学年はすでに一部教科担任制になっているし、中学年もそうなる動きがある。
「学級王国」は低学年だけのものになりつつあるが、この「学級王国」が曲者だ。
救いなのは、今年は、次男が学校に行くことを嫌がっていないことだ。
小学校に入学して1年半近く経ち、次男の友だち関係も確立してきたのも大きいのだろう。
次男、学校制度にのまれずに、上手く乗り気れるようになってほしいものだ。