鉄は熱いうちに打て
一昨年に体験した次男の幼活では、
キリスト教系幼稚園の行事にいくつか参加した。
場所柄、東京23区内のキリスト教系の幼稚園は園舎が狭くて、
教会と幼稚園が一体化した園が多い。
そうなると、
教会の礼拝堂でプレや園舎開放などの行事が行われる。
次男は、
あるキリスト教系幼稚園の教会にある、
静まり返った厳かな礼拝堂の雰囲気に馴染めなかったようで、
礼拝堂に入るのを嫌がり、
「帰りたい~」と騒ぎ始め、
結局、プレに参加せずに帰ったことがあった。
プレに参加してみると、
キリスト教系幼稚園なので当然、
プレの最中にお祈りをする時間が「必ず」ある。
参加者みんなで「アーメン」と唱える。
幼稚園に入園する前の小さなこどもたちが、
何のためらいもなく、
手を合わせて「アーメン」と唱えるのだ。
とはいえ、
うちの次男はキリスト教系幼稚園とは、
どうも相性が良くなかった。
次男は、あの教会独特の雰囲気に何か感じるものがあったみたいだ。
わが家の近所にもキリスト教系幼稚園がある。
もしそこに通っていたら今頃、
毎週日曜日の朝はお祈りに出かけていたんだろう。
それはそれで貴重な体験だったのかもしれない。
でも、
今までのわたしの人生でも、
わたしの親戚縁者も皆、
宗教系の学校には縁がない。
次男も結局、
宗教系幼稚園とはご縁が繋がらなかった。
反抗期に宗教系学校に入学するリスク
わたしは宗教系の学校にご縁がないので尚更、
宗教系学校はどんな雰囲気なのか知りたくなる。
宗教系学校について色々調べていると、
思春期を迎え反抗期に入ってから、
宗教系学校に入学すると馴染めないケースがあることを知った。
読売新聞のウェブサイトに掲載されていた辛酸なめ子氏の記事で、
「厳格な宗教系中学に馴染めなかった」一例が紹介されていた。
この記事に書かれていた女性は、
キリスト教系の厳格な名門女子中学に入学したものの、
宗教行事に意義を見い出せず、
聖書の試験で『神なんて居ない』と書いたら速攻呼び出されて病人扱いされた、
らしい。
辛酸なめ子氏が述べているように、
宗教系学校の授業で「神なんて居ない」なんてコメントを書くとは、
ここまで出来るのは、
ある意味「大物」の風格すら漂う。
辛酸なめ子氏のブログを読むと、
本人の意思に寄らずに、
思春期に宗教系学校に進むのはある意味リスクを伴うということがわかる。
思春期を迎えた子どもが厳格な宗教系中学高校に進んだ場合、
「宗教行事」がストレスになりうるのだ。
こどもが小さければ小さいほど、
何の疑問も持たずに宗教行事を受け入れられる。
だからこそ、
多くの教会が幼稚園を併設しているのだろう。
まさに「鉄は熱いうちに打て」だ。