保育について書き続ける理由

保育に関してわたしがいろいろと書き連ねている理由。

長男を私立認可保育園に預けていた頃、保育園を取り巻く環境が良くない方向にどんどん変わっていくのを目の当たりにしたから。

けれども、いろいろと調べていくうちに、私立・公立の違いによる保育環境の違いというよりも、経済成長のために女性の労働力を活用したい・そのためには公立を減らして株式会社立の保育園を増やすことで保育園を低コストで増やすという経済施策が問題の根本にあるからだと気づいた。

わたし自身、経済施策に踊らされて働くのは感覚的に受け付けない。

わたしが働いているのは、働くことが好きだからだ。

わたしは女性活躍に踊らされて働いているのではない。

 

わたしが保育を取り上げる理由

わたしのような保育の素人が保育のことを取り上げるのは意味がないのかもしれない。

けれど、幼児教育はこのままの流れで良いのだろうか?

なぜ保育・教育の専門家の多くは保育の問題について何も触れないのだろう?

素人ながらずっと疑問に思ってきた。

改めてわたしが保育について今まで書いたものを読み返してみた。

ちょっと過激な表現もあったけれども、短い間だけど今まで保育園・幼稚園をみてきて、正直な思いを書いたつもりだ。

 

幼稚園について

次男の保活・幼活の両方を経験してみて、最終的に次男を幼稚園に通わせることを決めたのは、保育園に比べると幼稚園はむかしのままだからだ。

小学校に入学するまでの間子どもが子どもらしく過ごせる環境が幼稚園のほうが保育園よりも多く残っていると感じた。

国が幼稚園から認定こども園への転換を促していて、また、これから親になる世代の人たちの多くが、小さな子どもを保育園に預けて働くのが当たり前だという意識になってきている以上、一部のブランド園を除けば、幼稚園は今後どんどん少なくなるんだろう。

残念なことだ。

小さいうちは手元で子どもを育てたい人はきっと一定の割合で存在する。

だから、そういう人たちのために幼稚園という施設は残ってほしい。

 

保育園について

今までたくさんの保育園を見学してみて、教育内容が素敵だと思った私立保育園もあった。

むしろ私立保育園だからこそ型にはまらない特徴ある活動を取り入れていた。

けれども、わたしは最終的に公立園を選んだ。

その理由は公立園は「公平性」が担保されているからだ。

有力者の紹介ですんなり入園が決まる私立園の話を今までたくさん聞いた(認可園は除く)。

そういう話を聞くと、懸命に保活しているのが馬鹿らしくなってきた。

公平性だけでなく、私学には特有のアクの強さがある。

アクの強さがまさに校風なのだろう。

けれども、アクの強さがこどもに合わないと、こどもも職員もお互い大変だ。

それに、幼稚園と保育園の両方に通ってみて実感するのは、幼稚園は似たような考え方・家庭環境の保護者が多いのに対して、保育園は福祉施設で、色々なご家庭が入園してくるということだ。

考え方が違う保護者にそれぞれ対応しなければならないから保育園で働く職員の方々は本当に大変だと思う。

しかも、今はコロナ禍で保育園に勤めている職員の方々は気を遣うことが多くて本当に大変だと思う。

子どもにとってもそこで働く人にとっても、保育園という場所が穏やかな場所であってほしい。