改めて80年代を想う

昨年の大晦日からずっと紅白を引きずっている。

わたしは普段、歌番組をほとんど観ない。

だから、たまに歌番組を観るとそれなりに感慨深い。

そもそも、80年代と比べると今は歌番組自体がとても少ない。

松田聖子、ユーミン、玉置浩二、郷ひろみなど、80年代にヒットを飛ばした歌手が昨年末の紅白にたくさん出場していた。

このことが、80年代を回想するきっかけになり、80年代の歌謡曲をあらためて聴き直している。

 

80年代と松田聖子

80年代は松田聖子のデビューとともに始まったといっても過言ではない。

当時、わたしは松田聖子の熱烈なファンではなかった。

熱烈なファンでなくても、当時は同級生の多くが松田聖子の曲を聴いていた。

わたしも松田聖子のシングル・アルバムを友人に借りてたくさん聞いた。

80年代初めはまだレコードが主流だったので、友人とレコードの貸し借りをよくしたものだった。

「熱烈なファンでない人も松田聖子の曲は一通り聞いていた」というエピソード自体が、当時、松田聖子がどれほど人気を博していたかを物語っている。

松田聖子がデビューして結婚で一時休養するまでの期間は、私の小学校高学年から中学生までの期間と重なる。

私は、小学校高学年から中学生までの、おそらく人生のなかで最も多感な時期を、松田聖子の一番輝いていた時期を見ながら過ごしたということだ。

松田聖子だけでない。

80年代前半は、YMO・ユーミン・井上陽水・竹内まりやなど、いろいろなアーティストがアイドルに曲を提供するなど、実験的な試みが山のように行われていた。

今と比べても余裕がある、遊び心がふんだんにあった時代だった。

音楽だけでない。

パルコ文化が華やかだった頃もこの時期に重なる。

80代前半はバブル期を迎える前の、高揚感溢れる時代だったことを懐かしく思う。

 

ワクワクした時代

今回松田聖子の軌跡を振り返っていろいろなブログを読んだ。

80年代の松田聖子は、

・デビュー当初からしばらくは声を張り上げる歌い方だったのに途中で歌い方が変わったこと

・確か「風立ちぬ」の頃だったろうか、声の調子が悪いと松田聖子自身が歌番組で盛んに訴えていたこと(確かにその当時、高音がかすれていた)

・途中2度ほど顔つき(雰囲気)ががらりと変わったこと

など、いろいろなことを思い出した。

そういえばそんなことがあったと懐かしく思い出した。

松田聖子のシングルやアルバムが出るたびに、次はどんな路線でいくのだろう?とリアルタイムでワクワクしていた。

新しいシングルが出るたびに髪形を変えたり衣装を変えたりと変化に富んでいた。

松田聖子だけでなく、ライバルといわれる中森明菜についても当時同じくワクワク見つめていた。

当時の制作スタッフはプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、クリエイティブな仕事にワクワクしていたに違いない。

当時の松田聖子を取り巻くスタッフの仕事ぶり、つまりはクリエイティブなものを生み出そうとするものづくりに対する姿勢が後のわたしの人生にも影響しているとすら思う。

今は、歌番組を観てワクワクする子どもたちなど、あんまりいないだろう。

松田聖子をはじめとする80年代の音楽界のようなワクワクさを、今の子どもたちはリアルタイムで味わうことができない。

そのことをひどく気の毒に感じている。

そう思うと、思春期にクリエイティブなことに没頭してワクワクすることは本当に大事なことだと改めて思う。

われわれ大人はどうしても仕事の忙しさにかまけてしまいがちだ。

コロナ渦で子どもがワクワクする機会を作ってあげられているかと思うと、少し反省している。