戦前生まれと戦中生まれ
今日8月15日は終戦記念日である。
戦前生まれ
先週、「徹子の部屋」に草笛光子さんが出演していた。
草笛光子さんは1933年生まれの87歳(2021年8月15日現在)。
今年(2021年)10月で88歳になる。
草笛さん、とにかくお若くて美しい。そして健康的だ。
こんなに美しくて健康的な88歳、ほかにいらっしゃるだろうか。
黒柳徹子さんも、草笛光子さんと同じ1933年生まれの88歳だ。
もう90歳近いというのに、お二人とも信じられないほどお元気。
だいぶ前から「徹子の部屋」では毎年8月になると、黒柳さんと同じ年代のゲストが呼ばれ、戦争(第二次世界大戦)の頃の話がとりあげられる。
80年前に日本で戦争があったことを忘れないようにとの黒柳さんの思いが込められているのだろう。
黒柳さんも草笛さんも「戦前生まれ」だ。
お二人とも第二次世界大戦の終戦時(1945年)に小学校高学年で、かつ、疎開を経験している。
お二人は戦争中の記憶として
「とにかく食べ物がないので、お腹が空いて仕方がなかった」
「お菓子が食べたかった」
と話していた。
戦前生まれの人は、戦争中の記憶・終戦時の記憶がハッキリ残っている。
草笛さんは戦争中、幼い妹を亡くしたそうだ。
空襲で避難するときは、家族の中で幼い妹の骨壺を持って逃げる係だったそうだ。
戦前生まれの方は、戦争中、家族を亡くした方が多くいらっしゃる。
子ども時代に小さなきょうだいを失くすのはあまりにもつらく、強烈な体験だ。
戦中生まれ
ところで、わたしの父も母も戦中生まれだ。
戦中生まれの人は終戦時にまだ学校に入学していない。
だから学童疎開を経験していない。
戦中生まれであるわたしの父も母も、戦争の記憶が薄い。
わたしの父も母も「防空壕に逃げた」という記憶はあるけれども、ぼんやりした記憶らしく、空襲で逃げたときの恐怖感はあまり強く残っていないそうだ。
そして、父も母も「お腹が空いてどうしょうもなかった」という強い記憶がない。
もちろん、父も母も戦争中の食糧事情は良くなかった。
けれども、黒柳さんや草笛さんのように「空腹がこたえた」という記憶は強く残っていない。
父に関しては、戦争中結核になったらしいが、そのときのつらい記憶もあまり強く残っていないらしい。
どうやら、小学校入学前のこどもの記憶というのはぼんやりしているようだ。
戦中生まれ:戦後の復興期の記憶のほうが強い
戦中生まれの父も母も、戦争中よりも戦後の復興期の記憶のほうが強い。
父に至っては、終戦後、
「アメリカ兵にチョコレートやガムをもらったのが嬉しかった」とか
「ジープに乗ったアメリカ兵が背が高くてカッコよかった」とか、
戦中生まれの戦争に対する記憶とはまったく違う記憶が強く残っている。
そう考えると、日本人で戦争の哀しい記憶を伝えられるのは、戦前生まれの人たちが最後の世代なのだろう。
番組の最後で黒柳さんが、「戦争を経験しているからこそ、強くなったのだろう」と話していた。
コロナ禍であっても彼女たちが90歳近くになって元気なのは、戦争を乗り越えていることが大きいんだろう。