「菊と葵のものがたり」に書かれていないこと

徳川慶喜の孫娘のひとり、井手久美子氏は、
その著書(徳川おてんば姫)の中で、
「人を嫌な気分にさせる言葉は使わないように」
と幼少時に厳しく躾けられたと述べる。

(読書感想)徳川おてんば姫(著者:井手久美子)

井手久美子氏は、高松宮喜久子妃殿下の末の妹である。

おそらく高松宮喜久子妃殿下も末妹同様、
「人を不快にさせる言葉は使わないように」との教育を受けていた可能性が高い。

実際、喜久子妃殿下の著書「菊と葵のものがたり」では、
お茶目な喜久子妃殿下の冗談はたくさん載っているけれど、
人を嫌な気分にさせる言葉は使われていない。

(読書感想)菊と葵のものがたり(著者:高松宮喜久子妃殿下)

 

「菊と葵のものがたり」に書かれていないこと

ただ、喜久子妃殿下の著書「菊と葵のものがたり」を読んで気になったのは、
美智子妃殿下に関するエピソードがほとんどないことだ。

「菊と葵のものがたり」にある美智子妃殿下に関するエピソードは、
昭和天皇の還暦のお祝いで当時の東宮と東宮妃殿下(現上皇・上皇后陛下)が出し物をした、
という記載くらいしかない。

 

華子妃殿下の着物を見立てる

対照的に、華子妃殿下については、
ご結婚後に華子妃殿下がお召しになる着物の見立てを
当時の皇后陛下(香淳皇后)が高松宮喜久子妃殿下に直々にお願いされたとの記載がある。

皇后陛下からのご依頼を受けて、
秩父宮勢津子妃殿下・三笠宮百合子妃殿下と一緒に、
生地を取り寄せて選定したほどの熱の入れようだった。

高松宮喜久子妃殿下は、
津軽家出身の華子妃殿下の母上と同級生だったとのこと。

常陸宮と華子妃殿下の結婚式に出席して、
自らが見立てた着物を華子妃殿下が実際にお召しになっているのを見て大きな喜びを感じたと、
高松宮喜久子妃殿下は回想する。

皇室でなくても、
同級生の娘さんと親戚になるということは、
何か特別のご縁を感じるのも無理はない。

 

質素な高松宮邸

そしてもうひとつ、
「菊と葵のものがたり」には、
高松宮同妃両殿下が戦後22年間お住まいになった
邸宅の写真が掲載されている。


出典:菊と葵のものがたり

邸宅は46坪の平屋。
まるで庶民の家のように質素な造りだ。

高松宮殿下が「戦後、国民が苦しんでいるのだから」と
質素な暮らしを望まれたそうだ。

ここ数年、上皇后陛下の現役時代の衣装代の高さが
ネット上で話題になっている。

今見ると、美智子妃殿下はお若い頃から皇后陛下にお成りになった後も
いろいろなドレスをお召しになっていたのは確かだ。

ご成婚でミッチーブームが沸き起こり、
民間出身の皇太子妃による「身近な皇室」を演出するために、
美智子妃殿下が多大な貢献をしたことを考えれば、
ある程度衣装代がかかったのは致し方ないと思うけれど、
当時の東宮妃殿下のお姿は、
質素倹約を良しとする皇室とはイメージがだいぶかけ離れている。

戦後、質素な暮らしを続けていた喜久子妃殿下にしてみれば、
まるで女優のように衣装をとっかえひっかえしている東宮妃殿下(当時)について、
なにか思うところがおありだったとしても無理はないだろうと、
個人的には思った。