「ギフテッドのこどもたち」を特集するテレビ番組を見た

先日、ギフテッドのこどもたちの特集をテレビで放映していた。

ギフテッド(gifted)とは簡単に言うと、実年齢に比して高い知能を持つ人たちのことだ。

その番組の中で、あるギフテッドの少年が印象に残った。

 

高校数学を自学自習する小学生

その少年は小学校5年生。

算数が得意で、高校数学を参考書を見ながら自習している。

「学校の算数の宿題は、すでに分かりきっていることをしなければならないから苦痛だ」と少年は話す。

少年は小さい頃から数字が好きで、数ばかり数えていたそうだ。

少年は現在保健室登校が認められて、保健室で算数・国語・社会を学習しているそうだ。

ギフテッドの話になるとよく話題になるのが「飛び級」である。

この番組でもメキシコで飛び級しているギフテッドの少女が紹介されていた。

その少女は知的好奇心旺盛で、飛び級して自分の好きなことをどんどん学べる環境が水に合っているのが画面から伝わってきた。

実年齢よりも上の内容を学習するために飛び級が認められている国もあるが、日本では認められていない。

その一方で、実際に幼少時に飛び級を経験した外国人の方から「数学年以上の飛び級は周りの生徒との精神年齢と違いすぎて上手くいかないことも多い」と私は聞いたことがある。

学校で飛び級する場合、小中高では2学年位まではうまくいくなるが、3学年以上の飛び級となると、周りの生徒との精神年齢が違いすぎて、飛び級した生徒が精神的に辛くなってしまうことも多いそうだ。

「幼少時の1年の違いは大きい」ということだ。飛び級で学校生活をうまく送るために必要なのは学力だけではなくて、精神的成熟度の高さも求められるのだ。

飛び級にはそういったデメリットもある。

テレビ番組に出ていたギフテッドの少年は、家庭学習で高校数学を勉強していた。

実年齢より上の学習範囲を勉強するには、自分のペースですすめられる個別学習が最も適していると思った。

ただ、こういう天才少年少女の話題が昔からちょくちょく出るが、彼らは実際、成人した後どんな職業についているのだろうか。

 

中学受験生も似たようなものだ

また、ギフテッドのこどもたちの話を聞いて、中学受験する子どもたちも、ギフテッドのこどもたちと似たような状況だと思った。

中学受験生は、学校で学ぶ内容を塾ですでに勉強していて、学校の授業が退屈なのは、先述のギフテッドのこどもたちと同じだ。

都市部の公立小で一律授業は成立しなくなって久しい。

公立高や国公立大学の入試範囲を教科書の範囲に限定することは、教育の機会均等のうえで必要だと思うけれども、公立小中学校で全員一律の画一化した授業を進めるのはそろそろ終わりにしたらどうだろうか。

たとえば、公立小では高学年では、中学受験生には自分の進度にあった自習を、非中学受験生には基礎学力を確実につけるための授業をしてもいいんじゃないか。

そして、都市部の公立中学校に進学する頃には、こどもたちの学力は完全に二極化している。真ん中のレベルに合わせた授業はおおかたの生徒にとってレベルに合っていなくて不毛だ。