皇族のお子さまと幼稚園3年保育
紀子さまの「悠仁さま・名門難関校路線」が始まったのは、悠仁さまが通う幼稚園としてお茶の水女子大学付属幼稚園を選んだときからだったといわれている。
紀子さまの「悠仁さま・名門難関校路線」は学習院幼稚園が2年保育だったことに端を発している。
眞子さま佳子さま姉妹は、学習院幼稚園に入園する前に別の保育施設に通われたとのこと(悠仁さまの“難関名門高”路線は「お茶の水女子大付属幼稚園」を選んだ時から始まった)。
悠仁さまの場合、皇位継承者が通う教育機関になる。紀子さまも悠仁さまの3年保育先を決めるために慎重に検討に検討したはずだ。
あくまでも私の推測であるが…紀子さまはお茶ノ水大学付属幼稚園を見学して、学習院幼稚園とはまた違う、のびのびとした環境に惚れ込んだのではなかろうか(学習院幼稚園がダメだという意味ではない。園にはそれぞれ教育方針が違うのは当たり前だから)。
浩宮さま(天皇陛下)・礼宮さま(秋篠宮さま)・紀宮さま(黒田清子さん)の三兄妹も学習院幼稚園に通った。
当時も昔も学習院幼稚園は2年保育だ。
多くの幼稚園が3年保育への転嫁を余儀なくされる中で、学習院幼稚園をはじめとする名門幼稚園は今も頑なに2年保育を貫いているところが多い。
学習院幼稚園のような名門幼稚園は2年保育を続けていても入園志望者が多いので、あえて3年保育にする必要がないのだろう。
悠仁さまの“難関名門高”路線は「お茶の水女子大付属幼稚園」を選んだ時から始まったには、浩宮さま以降の世代ではじめて3年保育に通った皇族方は三笠宮彬子さまだとある。
より正確に言うと、三笠宮彬子さまよりも先に、紀宮さま(黒田清子さん)が3年保育の柿の木坂幼稚園(現在は廃園)に年少の1年間だけ通ったのちに学習院幼稚園に入園している。
黒田清子さんは4月生まれ。
4月生まれの子どもが2年保育で幼稚園に入園する場合、ほぼ5歳で幼稚園に入園することになる。
幼児の頃は女の子は男の子より精神発達が早い傾向があるから、黒田清子さんのようなしっかりとしたご性格の4月生まれの女の子の親が3年保育を選択したいのは理解できる。
4月生まれの子どもは3年保育でもほぼ4歳で幼稚園入園だから、3年保育でも集団生活に適応できる精神年齢に達していることが多い。
ここ50年以上、皇族のお子さまたちは3年保育を受けるため、学習院幼稚園に入園するより前に、学習院幼稚園とは別の教育機関に通っているのだ。
一般庶民ならば、子育てサロンや児童館などを気軽に利用して、同世代の親子と触れ合う機会を作ることができる。
けれども、皇族の方々はそうはいかない。
だからこそ皇族の方々は3年保育という選択をするのだろう。
紀子さまが悠仁さまにお茶の水女子大学付属幼稚園を選んだのも3年保育だから、という理由だった。
名門幼稚園が2年保育にこだわっているのは理由がある。
ずいぶん長い間、幼稚園業界には2年保育にこだわっている先生方がいらっしゃった(私の個人的印象だ)。
今の先生方は考え方がだいぶ柔軟になっているけれど、その上の世代は頑なに2年保育にこだわっている先生が多かった。
2年保育を推奨する先生方は呪文のように「2年保育がいいのよ」「2年保育がいいのよ」と事あるごとに保護者に話していた。つまり、満4歳になるまでは家庭で母親が手をかけて子育てをして、幼稚園に通うのはそれからでいい、という考えである。
学習院幼稚園もそういう方針なのだろう。
けれども時代は変わった。
日本が貧しくなり、若い世代の多くは共働きしないと生活が維持できなくなった。
満4歳まで家庭で子育てできるのは、生活に余裕がある世帯だけになってしまった。
そして、保育園が増えた結果、保育園の定員割れが起きていて、望めば保育園に子どもを預けられるようになった。
結果として、現在、2年保育で幼稚園に入園してくる子どもたちは、保育園・ほかの3年保育の幼稚園・幼児教室など別の教育機関に通ったことがある子どもたちが主流になっている。
「家庭で子育て」を推奨して2年保育を採用しているのに、実際に2年保育で入園してくる子どもたちの多くは「家庭で子育て」という経路を辿っていない、という皮肉な現象が起こっている。
思えば、50年以上前、紀宮さまがこどもだった時代から3年保育のニーズがあったのだ。
学習院幼稚園をはじめとする名門幼稚園はこれからも2年保育を貫くのだろうか。