野球は麻薬なのか

高校・大学時代の同級生の子弟のなかには少年時代から野球を長く続けている子がいる。

野球というスポーツは一度ハマると生涯「野球一筋」になる人が非常に多い。

たとえば、中学・高校の6年間、強豪校の野球部では活躍の機会がなかったけれども、野球を続けたい気持ちは変わらず、大学時代は体育会硬式野球部よりもランクを落として軟式野球部や準体育会野球部などに入って野球を続けたりする。

 
そして、野球部の監督を目指して教員になる人は数知れない。

そういう人にとって、進学も就職も「野球ができるか」が重要な選択肢のひとつなのだ。

 

はたから見ていると、中学・高校と野球で檜舞台に立つ機会がなかったのに、なぜそこまで野球にこだわるのだろう、と感じる。

いったい、何がそこまで野球に駆り立てるのだろう。

 

野球というのは「麻薬」みたいなものだ。

監督をやる、とまではいかなくても、野球好きの教員の多いこと、多いこと。

幼稚園・保育園から小学校、中学校、高校に至るまで、「先生」には野球好きを自認する人が実に多い。そういう人はたいてい、子どもにも少年野球をやらせていたりする。

 

特に、校長・園長など「長」と名の付く役職の人には野球経験者の割合が高いと感じる。

「みんなで力を合わせて汗を流してひとつの目的を達成する」ことに得も言われぬ高揚感を感じるタイプの人が教員(特に管理職)になるのだろう。

この高揚感がいわば「麻薬」のようなもので、この高揚感を味わいたいがために人は野球を続けるのだろう。

 

学校の先生がたは「みんなで力を合わせることで感じる高揚感」を子どもたちにも味合わせようとする。

うちの子どもたちの運動会を見ていると、そう思う。

 

ところが「みんなで力を合わせることの高揚感」を感じる子もいれば、あまり感じない子もいるのだ。

私は「みんなで力を合わせることの高揚感」をあまり感じないタイプの子だった。そういうタイプの子にとっては運動会の団体競技は単なる「感動の押し付け」である。

野球という競技そのものは面白いと思うが、共同作業による高揚感をあまり感じない私のようなタイプの人間には野球の素晴らしさを理解できないのだろう。