男性が子どもを持つということ
子どもの頃、友だちの家に遊びに行くと、井戸端会議をしにきていた同級生の母親達が、若い女性の小学校の担任のことを「子どもがいない女性は保護者の気持ちが分からないから」と話すのを何度も聞いたことがある。
自分の母親はそういうことを言わなかったので、そういう話を聞くのは嫌だった。
「子どもがいないだけで担任として認めてもらえないのだろうか」と子ども心に疑問に思っていた。
男性教師について感じること
実際に自分が親になってみると、女性ではなく、むしろ男性の教師について、子どもがいるかどうかによる意識の違いを感じる。
今まで長男の保育園・小学校・中学校・習い事でいろいろな男性の先生に会ってきた。
「男性は子どもがいないと、本当に子どものまんま」だと感じる。
たとえば学校の先生は結婚して子持ちだと、子どもに向ける視線は親目線が入って優しくなる。
けれども、子どもがいない男性の先生は総じて、子どもたち(生徒)への視線が親目線にならない。
子どもたちに対して対等な「クラスメート」のような意識だ。
ただ、子どもができても相変わらず子どものまんまの男性も多いけど。
こどものときから女性は自立している
少なくとも日本では、男性に養うべき子どもがいない場合、大人であっても子どものまんまなのだ。
日本でもふた昔前のように、たとえ実の子どもがいなくても、養わなければならない子どもが身近にいるならば、立派な大人だ。
今の70代以上の世代では、父親が早くに亡くなり、父親代わりに小さな弟妹たちを養うために一生懸命働いていた人たちがいる。
そういう人たちはたとえ結婚していなくても一人の立派な大人だった。
同じことを中東や南アジア出身の外国人男性にも感じる。
街のコンビニなどで働く彼らは小さな子どもに向ける視線がとても優しい。
小さな子どもを見ると祖国にいる兄弟や親類を思い出すのだろうか。
彼らは祖国にいる小さな兄弟たちを養うために日本で働いているのだろうか。
今まで「男性は結婚して家庭を持つもの」という伝統的な価値観は押しつけがましくて嫌だった。
けれども最近は、男性というのは、養うべき人がいないといつまでも子どものままだと感じる。
最近は男性のおよそ2割が一生結婚しないといわれている。
今の発展途上国でそうであるように、経済的に自立していなくても、しばらくは親の経済的保護のもとで結婚するという方法もアリかもしれない。
「良き仕事」よりも「良き伴侶」のほうが人生にとって大切だ。
「良き伴侶」を得るには「良き仕事」が必要だという人もいるけれど、身内をみていると、必ずしもそうとは言えないのだ。
仕事いかんに関わらず、女性に可愛がられる人間的魅力が備わっていると、お金がなくても女性が寄ってくるのを実際にみている。