(読書感想)宮中五十年(著者:坊城俊良)

宮中五十年は、
明治天皇・大正天皇・貞明皇后に仕えた坊城俊良氏による著である。

この原本は今から60年以上前、1960年に明徳出版社より出版されている。
2018年に講談社から再販されたのがこの本である。

「坊城」という苗字に聞き覚えがある人は多いだろう。

著者の坊城俊良氏は、
黒田清子さん(当時は紀宮)の御結婚相手の候補と噂された坊城俊成氏の祖父である。

「宮中五十年」というタイトル通り、
この本は、著者が10歳から50年という長い間皇族に仕えてきて、
心に残った出来事を回想したものである。

この本の前書きを小泉信三が書いている。

全部で150ページ程度の薄い本のうえ、
平易な文体で書かれているので、とても読みやすい。

本書は今から60年以上も前に書かれた文章にも関わらず、
文体の古さをあまり感じさせない。

 

明治天皇に仕える

著者はわずか10歳で明治天皇に仕えた。

当時は、華族のこどもたちが明治天皇の身の回りのお世話をするのが習わしだったのだ。

明治天皇に仕えるこどもたちは、
1日おきに学習院に通って授業を受けつつ、
宮中で漢文と英語を先生から習っていたそうである。

当時の明治天皇は威厳に満ちていて、
こどもである著者からみても怖い人だったとのこと。

この本には、
御世話をする立場として知る、
明治天皇の私的な生活が書かれている。

この本にある明治天皇のエピソードを紹介すると、

・質素な生活を心がけていた。
 障子が破れたら破れた箇所を歌を詠む際の練習紙に裏紙を使っていた。

・犬好きで小型犬を飼っていた。
 著者はこどもなので飼っていた犬にバカにされていたのが尺に障った。

・面会する人はみな、面会が終わると汗びっしょりになっていた。
 椅子に座って明治天皇と面会する人は伊藤博文・乃木希典・北白川宮のみ

などが印象的である。

 

昭憲皇太后に仕える

明治天皇の正室である昭憲皇太后は慈悲深い方だったというのが
多くの人の見解であるが、
著者もこの本で同様の印象を述べている。

宮仕業務のせいで1日おきでしか学校(学習院)に通えないこどもたちのために
漢文と英語は宮中で先生を読んで勉強させていたが、
こどもたちに学力をきちんとつけさせることを重視していた皇太后は、
宮中で独自に学力試験を実施していたそうだ。

宮仕えのせいで学力が身につかず、
こどもたちの将来に影響が出ないようにとのお考えだったと思うが、
なんとも細やかなお気遣いである。

 

大正天皇に仕える

著者は明治天皇がお亡くなりになった後、
大正天皇に仕えた。

著者からみた大正天皇は、
裏表がない純情な性格で、
仕えた者に慕われる、人間的魅力に溢れている人だったそうだ。

大正天皇が飼っていた九官鳥が賢くて、
大正天皇の真似をして九官鳥が「坊城、坊城」と呼ぶので、
大正天皇ご本人かと思って伺うと九官鳥だった、という話が面白かった。

 

貞明皇后に仕える

著者の宮中五十年のうち約半分を
貞明皇后に仕えている。

貞明皇后は、
著者が皇太后太夫として最後に仕えた皇族であるためか、
色々なエピソードが本書に書かれている。

 

仕える者への感謝の気持ち

貞明皇后は、
仕える者全員に土産を揃えるのが習わしだったそうで、
物不足の時代にタバコ1本しか土産を準備できなくても、
仕える者全員にお土産を準備していたそうだ。

仕える者への感謝の気持ちを忘れない
貞明皇后のお人柄が表れるエピソードである。

 

生物への強いご関心

貞明皇后は生後間もなく、
東京・高円寺の豪農である大河原家に預けられ、
5歳になるまで農家で生活していたのは有名な話である。

戦中戦後の食糧難の時代に自ら畑で芋を栽培したり畑の草むしりをしたり、
見慣れない植物を、動植物の研究者でもある昭和天皇に届けたりなど、
貞明天皇は自然への強いご関心があった。

自然への強いご関心の源は、
幼少期に農家で生活していたため、
野山を駆け回って自然に親しんだご経験ではないかと著者は拝察する。

5歳までの環境はその人の人生に大きな影響を与えると改めて思った。

 

まとめ

この本のあとがきで原武史氏で指摘しているように、
宮仕えで見聞きした政治的な事項については、
著者は敢えて触れていない。
元宮仕えとしての立場をわきまえた人である。

皇族の政治的な事項に触れていないがゆえ、
公務を離れた、プライベートで皇族ひとりひとりの個性が伝わるエピソードが書かれている点で
この本は興味深かった。

 

宮中五十年


著者: 坊城俊良
初版: 2018年
出版元:講談社