(読書感想)女官(著者:山川三千子)
「女官」は、華族・久世家の出身で、明治天皇と昭憲皇太后に仕えた山川三千子(以下敬称略)による著書だ。
原本は1960年に実業之に本社より刊行された。
著者の山川三千子は1965年に亡くなっている。
著者の死後50年経過して著作権が切れたため、2016年に講談社からこの本が再販された、という経緯だろうか。
歴史的価値がある本はこういう形で再販されることもあるのだなと思った。
「女官」に関するサイト
この本「女官」については、歴史エッセイストである堀江宏樹氏がサイゾーのウェブサイトで取り上げている。
以下のウェブサイトを読むと、本書の概要がよく分かる。
どうやらこの本は、皇室研究家の間では有名な本のようだ。
「女官」が書かれた経緯
著者(山川三千子)は、明治天皇そしてそのお妃である昭憲皇太后に仕えた。
この本にある原武史氏の解説は、この本でポイントとなる点を分かりやすく説明している。
まずは原武史氏の解説を読むことをおすすめする。
著者がこの本を執筆しようと思った理由が、この本のあとがきに書かれている。
皇太子殿下(現:上皇陛下)のご成婚を機に、皇室のことについて出鱈目が多く出回ったそうだ。それを機に、皇室について正しい事実を伝えたいと思ったのが、著者がこの本を執筆しようと思った動機のようだ。
明治天皇と昭憲皇太后については、著者が実際に仕えていて素晴らしいご夫婦だったという思い入れが強い。
だからこそ、明治の両陛下に関する誤った報道については、きちんと訂正申し上げたいという思いを著者は抱いていたようだ。
例えば、この本のあとがきで著者は、
「婦人公論」にあった平林たい子さんの文中にも、明治の両殿下の間がいつも冷たいとありました。私が宮中に奉仕した時分は、もうお年も召していたので、性的の交渉はおありにはなりませんでしたが、両陛下ともおたがいに相手の御人格を尊重して、なにかとおいたわりのご様子は、誠にお美しい夫婦でございました。
と述べている(324頁)。
明治の両殿下の性的交渉にまで踏み込んだ記載があることに驚く。
文章全体に漂う「何が言いたいのかよく分からない」感
この本の全体に「何を言いたいのかよく分からない」不思議な感じが漂う。
この本の最後にある原武史氏の解説でも同様の印象が述べられている。
悪文という意味でない。
直接はっきりとした批判は書かれていない代わりに、全体を読むと、皮肉とも批判ともとれる表現が散見されるのだ。
著者の独特の文章をぜひ味わってほしい。
著者が思っていること(私見)
この本から推察される著者の考えを私なりにまとめると、
明治天皇・昭憲皇太后
著者が実際に仕えた方々。
お二方ともお人柄が素晴らしい。
昭憲皇太后は、大正天皇に目をかけられて困惑する著者の気持ちを理解して、大正天皇と直接会わないよう取り計らってくれるようなお優しい方である。
大正天皇
お気に入りの女性の写真を集める趣味があった。
・著者に「写真がほしい」「葉巻を持っていてくれ」と事あるごとに接近
・著者の結婚式の様子を見てこいと著者の弟に依頼
など、大正天皇に追いかけ回されて、いささか迷惑。
貞明皇后
大正天皇が著者に御執心であることに対して嫉妬している。
ご賢明すぎるのが難点。
気が強く、大正天皇への思いやりに欠けるところがある。だからこそ余計、大正天皇は他の女性に目移りするのだ。
まとめ
著者が宮中に出仕したのは1909年。
明治天皇が57歳・昭憲皇太后が60歳の頃である。
両陛下が還暦を迎える前後に仕えたので、側室という話もなく、著者は宮中で穏やかに過ごせたのだろう。
明治天皇には多くの側室がいたのに対して、大正天皇以降の天皇は側室をもたなかった。
著者は側室制度がなくなるまでの過渡期に出仕していたことになる。
著者以外にも大正天皇が目をかけていた女官はおそらく居たはずである。
大正天皇自身、側室の子であるにも関わらず、自身は側室を持たなかった。
大正天皇のお子様4人すべて男子だったこともあり、側室を持つ必要もないし、側室を持つことを許されなかったのかもしれない。
自身は大正天皇の誘いを拒んでいるにも関わらず、側室制度がまだ残っている時代に側室を持たなかった大正天皇をおいたわしいと感じる、著者の矛盾した感情が心に残る本だった。
女官
著者: 山川三千子
初版: 2016年
出版元:講談社