読み聞かせくらいは、やったほうがいい
次男を幼稚園に入れて改めて実感したこと。
それは「幼稚園組の保護者は教育熱心な人が多い」ということ。
そして「教育に手をかけることを厭わない保護者が多い」ということ。
幼稚園に通わせる保護者は時間的に余裕があるから、昔からそうだろう。
ただ、共働きで保育園に子どもを預ける人が過半数を占め、幼稚園組の保護者は少数派になっている昨今、幼稚園組の保護者の教育熱心さが際立つのだ。
次男が通っていたのは富裕層向けセレブ園ではなく、入園試験すらやらない「公立園」である。
それでも、次男が通った幼稚園では、習い事(公文、ピアノ、ヤマハ、スイミング、体操、脳トレ…)を掛け持ちしている子どもが多かった。
そして、習い事をする・しないに関わらず、幼稚園のどのご家庭でも「読み聞かせ」を当たり前のようにやっていた。
「毎日、最低1冊は読み聞かせをする」と目標を決めている保護者も多かった。
対照的に、保育園組の保護者は読み聞かせをしているだろうか。
長男を保育園に通わせた自分自身の経験からいうと、保育園組で読み聞かせを励行していた家庭は少数派だったと思う。
保育園組の保護者でも「読み聞かせの重要性」を認識している人はもちろん居る(そういう保護者はこどもに読み聞かせをしている)。
けれども、保育園組の大多数の保護者は読み聞かせする時間的余裕がないので、保育園組のこどもたちは十分に読み聞かせする経験を経ないまま、小学校入学を迎える。
今の公立小学校は低学年からICT教育に時間をとられるせいか、学校での「音読・漢字練習がとても手薄になっている」と感じる。公立小では基本的なことを勉強する時間が削られてしまっている。次男を公立小に通わせていて、そう感じる。
家庭で「読み聞かせ・音読・最低限の漢字の練習」を補わないと国語力が伸びていかないな、と思う。
「ジェンダー平等」の旗のもと、男女関係なく育児と仕事を両立することが「これからの生き方」だと言われている。
高収入の共働き世帯は塾や家庭教師を利用すれば「他人にこどもの勉強をサポートしてもらう」ことができるし、ファミサポやシッターを利用することもできる。
けれども、低収入世帯は、塾や家庭教師を利用することはできない。その結果、こどもの勉強のサポートが家庭でなされないまま放置されることが多い。
男女共同参画社会という理想は結構だが、貧困と格差を増大させていないか。
父親・母親・祖父母・叔父叔母…誰でもいいから、身近でこどもに目をかけてくれる人を置いておける世の中のほうがいいんじゃないか。