(読書感想)亡国の中学受験(著者:瀬川松子)
「亡国の中学受験」は、同じ著者による書籍「中学受験の失敗学」に引き続いて2009年に出版された。
亡国の中学受験・瀬川松子・光文社新書・2009年
「中学受験を負の側面から論じる」のがこの本のコンセプトだと著者はこの本で述べる。中学受験をポジティブな側面から論じる本はたくさんあれど、中学受験をネガティブな側面から論じる本は少ないからだと著者はいう。
ゆえに「亡国の中学受験」には中学受験の「負の部分」が余すところなく語られている。
最近は「中学受験≒課金システム」という批判が表に出てくるようになったけれども、今も中学受験のネガティブな側面はあまり大声で語られない。
ただし…私立中高一貫校のネガティブな事柄はこの本にたくさん書かれているけれども、公立中学の良いところも悪いところもこの本にはあまり書かれていない。その点ではバランスを欠いていると言えなくもない。
「亡国の中学受験」を読んでみて、著者が中学受験について言いたいことは前作「中学受験の失敗学」で十分に語りつくされていると率直に感じる。
「中学受験の失敗学」と「亡国の中学受験」の両方を読んで印象に残ったのは以下の通り。
・中堅以下の私学に通うためにわざわざ中学受験をする必要は無い
・先取り学習が功を奏すのは成績上位2割から3割の生徒で、過度の先取り学習は残り過半数の生徒にとってはつらいだけ
・中堅以下の私立中高一貫校の中には、裏口入学などの別ルートで生徒をかき集めている学校がある
・進学実績を上げるため、授業料免除などの方法で優秀な生徒を入学させている私立中高一貫校がある。そこの学校が良い進学実績を残しているのは、その学校の教育カリキュラムが良いのではなく、もともと優秀だった生徒が入学して実績を残したに過ぎない可能性がある
この本「亡国の中学受験」は2009年初版なので、情報がちょっと古いのが残念な点だ(著者が悪いわけではない)。
「2000年初頭に公教育がゆとり教育に舵をとった頃から、ゆとり教育のデメリットを私学が盛んに宣伝し始めた」とこの本にある。
確かに2009年当時、中学受験業界は公立中学の「ゆとり教育」をやり玉に挙げて批判していた。
ところが、2011年に学習指導要領が改訂されて、ゆとり教育が事実上廃止になったため、今は公立中学の「ゆとり教育」が批判されることはなくなった。
ちなみに、今の中学受験業界は公立中学の「内申点重視路線」を批判する。
公立中学の「内申点重視路線」批判はもっともだと個人的には思う。こどもたちの行動を内申点で規定しすぎて、公立中学では思い切った行動ができなくなっている。
「中学受験の失敗学」を読んだ後にあえて「亡国の中学受験」を読む必要は無いと思う。
ただ、この本には公立中学の負の側面(学習指導要領に縛られていて臨機応変にカリキュラムを変えられない)も正直に書かれている点は評価できる。
学習指導要領の内容を削減しようとすると、その業界が寄ってたかってそれを阻止しようとするからだという。たとえば、ソロバンを学習指導要領から削除しようとすると、ソロバン業界から猛反発をくらう。
結果として学習指導要領の削減が難しくなっていて学習指導要領の内容は膨らみ続けている。
少子化で消費のパイが減り、こどもを食い扶持とした商売をする業界では同じことが起きているのだろう。もういい加減、そういうことは止めたらどうか。
現行の学習指導要領の削減を求める声が出始めている。たとえば、現行ひとり1台タブレットが支給されているが、こどもたちがタブレット漬けになる弊害もある。タブレット関連の事業が削減されるとなると、削減中止を求めて業界はきっと大騒ぎするのだろう。
また、この本で著者が指摘していたように、「生徒全員に大量の課題を課し、課題について来られる生徒のうち何割かが大学進学実績を伸ばしてくれればそれでいい」みたいな粗い教育システムを学校はいつまで続けるつもりなのだろうか。
しかも最近は、自称進学校と呼ばれる公立高校(管理職が進学実績を上げようと躍起になっている高校)でも私学のやり方を真似て、生徒に大量の課題を課すやり方を導入している。私立も公立もその点では変わらないな、というのが私の正直な感想である。
実際は、学業面を考えて中学受験をする人ばかりではない。
学業以外に価値を認める私学に魅力を感じて入学する人もいるし、アッパークラスとの繋がりを求めて中学受験する人もいるし、習い事やスポーツに専念するために中学受験する人もいる。
だから一概に中学受験を否定する気はないけれど、最近はあまりにも課金ぶりが目に余るケースも聞くので、やっぱり中学受験はわたしにとって足を踏み入れたくない世界だ。