往年の名女優とお手伝いさん

こどもを育てていると、
親や親戚以外の第三者で
こどもを世話してくれる人の存在が羨ましいことがある。

わたしがこどもの頃は
近所の友人の家によく転がり込んだものだ。

いま思えば、
転がり込まれた友人のご家族は
さぞ迷惑だったに違いない。

けれども、今はそういう近所づきあいもない。

わが家のこどもたちも、近所の家に転がり込むことはまず、ない。

 

往年の名女優とお手伝いさん

往年の名女優にはたいてい、
何十年もの長い間住み込んでいるお手伝いさんがいた。

今の80代の女優さんたちが、そういう年代の最後だろう。

たとえば、
高島忠夫・寿美花代夫妻にも
長年働いてきたお手伝いさんがいたそうだ。

以前、高島夫妻の息子さんたちが、
「お手伝いさんに育ててもらったようなもの。だから、お手伝いさんたちは家族同然だ」
話す記事を読んだことがある。

両親がともに人気俳優だった二谷友里恵の家にも、
30年以上もの間、
長年住みこんだお手伝いさんがいたそうだ。

以前このブログで読書感想として取り上げた二谷友里恵の著書「楯」に、
何年住みこんだお手伝いさんとの間の関係がかかれている(読書感想:楯(著者:二谷友里恵))。

二谷家に長年尽くしてくれたお手伝いさんは、
自身にこどもがいなかった。

俳優の仕事で忙しい母親の代わりに
お手伝いさんが半分、二谷友里恵を育ててくれたようなものである。

そのお手伝いさんが長年の勤めを終えて故郷に帰るときに
二谷友里恵との別れを惜しむ姿がなんともせつなく描かれている。

実の母親には孫という繋がりは残るが、
血のつながりもないお手伝いさんには、思い出以外、何も残らない。
そういう点で、お手伝いさんにとっては思い出だけが唯一の贈り物だ。

一方で、肉親以外の第三者に育てられる経験は、
子どもにとっては悪くないのだろう。