個人的な思い出を振り返る-昭和の女性アイドル
ここのところずっと旧統一教会が話題だ。
旧統一教会といえば桜田淳子である。
桜田淳子は当初歌手としてデビューしたが、
女優としての才能があった。
若かりし頃、ドリフターズのコントで演じた、
志村けんとの夫婦役が忘れられない。
志村けんが演じる夫が会社から帰宅して、
桜田淳子が演じる妻が夕食の支度を何もしていないことを
夫がなじると、
「私ってダメな女ね」
と妻が嘆く。
夫が妻をなぐさめると、一転して明るい曲が流れる、
というおきまりのパターンのコントである。
その後、桜田淳子は家庭人として満ち足りた人生を送っていたと思うが、
女優としての才能を発揮しきれぬままになったのはもったいない。
三人娘
山口百恵・桜田淳子・森昌子の三人娘は、
わたしが小学校に入学する前に人気を博していた。
つまり三人娘はわたしの世代よりも少し上の世代に人気があった。
わたしは三人娘のなかで桜田淳子が好きだった。
なにせ当時の桜田淳子は抜群に美人だったし、
足が長くてスタイルが良くて最高にチャーミングだった。
わたしが小学生になった頃には、
山口百恵は、宇崎竜童・阿木燿子コンビ、
さだまさしや谷村新司が提供した曲を歌っていた。
山口百恵は当時10代後半から20代前半だったのに、
すっかり大人の路線を突き走っていたから、
わたしからすると、
山口百恵=雲の上の人、といった感じがした。
キャンディーズ
わたしが小学校に入学する前後には、
キャンディーズが人気だった。
伊東四朗が扮する「電線マン」がコタツの上で踊る番組に、
キャンディーズはレギュラー出演していた。
キャンディーズは、
わたしが小学生だった頃に高校生だった世代、
つまり、1960年前後生まれの男の子たちに絶大な人気を博していた。
当時子どもだった私は、
なぜキャンディーズがそんなに人気なのか、
イマイチ、ピンと来なかった。
それでも、こどもたちの間では、
ミキ・ラン・スー(左からこの順番で並んで歌っていた)のうち、
誰が一番のお気に入りかが話題になった。
わたしのお気に入りはミキだった。
三人のなかではミキが一番スレンダーだった。
一方「スーはデブだ」と当時こどもたちの中で言われていた。
でも今になってキャンディーズの写真を見ると、
そんなことはまったくない。
当時の彼女たちの親くらいの年齢になった私から見ると、
当時の三人はとても可愛いらしい。
特に、当時のスー(田中好子)は顔つきがふっくらしていて、
健康的な若い女性だった。
それからしばらくして、スーちゃんを街でみかけたことがある。
写真と違わず、スーちゃんは実物もとても可愛らしい方だった。
そんなスーちゃんが早くにお亡くなりになろうとは、
誰が想像しただろうか。
ピンクレディー
わたしの子ども時代の記憶にはっきり残っているのは
ピンクレディーだ。
前述のキャンディーズもそうだが、
ピンクレディーの衣装というのは露出度が相当、高い。
彼女たちの衣装は、
今の時代ならば問題になりそうなほど、
太ももをあらわにしたものばかりだった。
でも不思議なことに、
子どもであるわたしたちには、
ピンクレディーはいやらしい感じ(性的なアピール)がなかった。
ピンクレディーの曲の歌詞も実はきわどいものが多い。
けれども、なぜか、
子どもであるわたしたちには歌詞がきわどく感じられなかった。
よく言われたように、
ピンクレディーというのはまさに、
「健康的なお色気」を醸し出していた、といえる。
そして、ピンクレディーのミーとケイどちらが好きかも、
こどもたちの間で話題になった。
わたしはミー派だった。
とにかく、テレビで見ない日はなかったほど
ピンクレディーは活躍していた。
ケイちゃんが盲腸で入院し手術をして、
腰に傷跡が出来た、なんてこともあった。
そういえば、入社した会社の社員旅行で、
同じ新入社員の女の子とペアを組んで
ピンクレディーの曲を歌わされたのはわたしの黒歴史である。
松田聖子と中森明菜
昭和のアイドルも後半で思い出深いのが
松田聖子と中森明菜だ。
彼女たちはまったく別の魅力を持っていた。
わたしは松田聖子と中森明菜、どちらの唄も好きだった。
いま思えばどちらも唄が上手い。
多くのミュージシャンが、
優れた楽曲を彼女たちに提供していた影響も大きい。
福岡のお嬢様高校の出身である松田聖子に対して、
中森明菜は東京・清瀬のお肉屋さんの娘で、
しかも6人兄弟の5番目に生まれた庶民派だった。
当時の「明星」・「平凡」といった雑誌に、
親しみやすさを前面にアピールするためだろう、
中森明菜は子ども時代の生活について、
「きょうだいが多いので、
節約のため、スーパーの閉店間際を狙って
値引きされた食品を買いに行っていた」
という回想を読んだのを覚えている。
松田聖子の曲も中森明菜の曲もよく聞いたが、
デビュー後もティン・パン・アレー関係のミュージシャンから
曲をたくさん提供してもらった松田聖子よりも、
子沢山家庭に生まれ決して豊かではなかった中森明菜のほうが、
人として身近に感じた。
その後、時代はバブル経済へと向かうが、
おニャン子クラブという女性アイドルグループが売れる頃には
わたしは高校生になっていた。
だから松田聖子・中森明菜以降の女性アイドルには
わたしは興味がわかなかった。
こうやって昭和のアイドルを振り返ってみたが、
今は価値観が多様化したせいか、
女性アイドルが一世を風靡することはなくなった。
それがちょっと寂しくもある。