保育園に預けたほうがよい場合だってあるんだろう

先日、別の記事(幼稚園向きの子・保育園向きの子)で我が家の次男は保育園向きではないと書いた。

その後で「ウチの次男は保育園向きではなかったけれど、保育園向きの子どもだっているかもなあ。早くから保育園に行って良かった子どもだっているよなあ」と改めて思った。

我が家の次男が保育園向きでなかったのは、あくまで次男の性格によるところが大きい。

子どもの性格によっては保育園に預けたほうがよい場合だって少なからずあるだろう。

本来ならば、言葉で意思をきちんと伝えることができる2歳半前後までは家庭で育てたほうが子ども自身のペースで過ごせる。

けれども、子どもが生まれてくる環境(虐待のことだけを指している訳ではない)によっては、保育園で過ごしたほうがよい場合だってあるだろう。

 

親子の相性

性格は親子で遺伝することが多いといわれている。

けれども、こどもの性格が親にそっくり遺伝するとも限らない。

いろいろな人を見ていると、親よりも祖父母や叔父叔母に性格が似ていることも結構多いと感じる。

性格が近親者の誰にもまったく似ていない子どもがポッと生まれてくることもある。

たいていは3代前4代前にさかのぼれば似ている人もいるのだろう。

けれども、性格が似ている人はすでに他界していて良く知らなかったりする。

だからこそ「誰に似ているのだろう?」と不思議に思うのだろう。

 

親子の性格が似ていない場合

親子の性格があまり似ていないと、親子が一緒に過ごしていて、どちらかが、またはお互いに苦痛を感じることがあるだろう。

たとえば、学者の家系に体育会系の子どもが生まれてくる場合や、商家の家系に学者肌の子どもが生まれてくる場合である。

親子の性格があまりにも違う場合、親は「この子はどうしてこんなことをするのだろう?」「ウチの家系にはこんなタイプの子どもは今までいなかった」と思うだろう。

そうなると、子どものやっていること・思っていることに親が共感できない。

血のつながった親子なのに、子どもの性格や行動に自分や近親者を見いだせないのは面白くないだろう。

親子が一緒にいると苦痛にすらなる場合だってある。

一方で、子どもは「なんで私のやっていることを理解してくれないのだろう?」と思うだろう。

そんな場合は、子どもは比較的早い段階で親元を離れて独立するのが良いのかもしれない。

独立するよりずっと前、子どもが乳児の頃であっても、親子が一緒にいることが苦痛ならば、思い切って早くから保育園に通わせてもいいかもしれない。

保育園に預けるときは「親子が一緒にいると苦痛になること」を悪いことだと思わないほうがいい。

単に親子の相性の問題で、たまたま性質が親と全く異なる子どもが生まれてきただけのことだ。

 

社交的な性格の子ども

「人と接するのが大好き」・「三度の飯よりも人と話すのが好き」という子どもがいる(産後ケアで気づいたこと)。

色々な人との交流を厭わない子どもは保育園でも保育士の先生方と積極的に交流するだろう。

こういうタイプの子どもは自宅に居て親との交流だけにとどまるよりも、保育園に行って色々な人と話していたほうが毎日楽しいと感じるだろうし、保育園生活での色々な人との交流から色々なことを吸収できるのだろう。

 

我が家の次男の場合

うちの次男は人見知りで他人に積極的に話しかけていくタイプではない。

私も次男と似たような性格のため、親子で性格が似ているといえる。

だから次男がやっていること・感じていることに共感できることが多い。

そのせいか、親子が一緒にいることは苦痛ではない。

おかげで家庭保育がなんとか続けられているのだ。