(読書感想)昭和天皇 最後の侍従日記(著者:小林忍+共同通信取材班) その2

前回「昭和天皇 最後の侍従日記」の読書感想を書いた。

(読書感想)昭和天皇 最後の侍従日記(著者:小林忍+共同通信取材班)その1

「昭和天皇 最後の侍従日記」は、
昭和天皇の晩年に侍従を務めた小林忍氏の日記をまとめたものである。

 

当時の高齢者へのケアの在り方が垣間見える

小林侍従の日記で印象に残ったのは、
今から40年ほど前の高齢者へのケアの在り方だ。

1980年から1990年にかけて、
つまり今から30年から40年前は
わたしの感覚では「ほんの少し前」だ。

小林侍従の日記を読む限り、
昭和天皇・香淳皇后の晩年に受けていたケアは、
今から見ると、充実したものだったとは思えない。

その当時はそれが当たり前だったのかもしれない。
おそらく一般家庭の高齢者に対しても同様だったのだろう。

たとえば、この本にある昭和58年8月12日(天皇陛下82歳)の小林氏の日記には、

「お上は看護婦のマッサージをお望みらしいが、星川侍医はクセになるからなさらん方がよいととりあわない。クセになっても良くなるならよいではないか。」

との記載がある。

当時は「マッサージなど治療には何の役にも立たぬ」という認識が
医師の間では一般的だったと推察される。

マッサージのリラックス効果が世の中に広く認知され、
街中に多数の整体・マッサージ店が並び、
高齢者向けデイサービスが乱立している現在とは隔世の感がある。

 

当時の高齢者へのケアの在り方が垣間見える

小林侍従の日記を読むと、
香淳皇后は、
噂が出回るかなり前から認知症らしき症状が出ていたことがわかる。

香淳皇后の御様子に異変が起こったのは、
香淳皇后が70代半ばにさしかかるときなので、
年齢的に無理もないことだ。

小林侍従の日記において、
香淳皇后のご様子について書かれた箇所を抜粋してみた。

 

1980年代の香淳皇后の御様子

昭和52年1月14日(香淳皇后73歳)

歌会始めの儀。皇后さまご御自分の御歌のときだけ起立なさるべきところお座りのままだった。

 

昭和56年4月6日(香淳皇后78歳)

皇后さま昨夜(今暁)お居間、ホールなどを歩きまわり、朝早くお居間で6時ごろ2時間くらい椅子でお眠りになったとか。

 

昭和57年3月3日(香淳皇后78歳)

皇后さまが最近お居間からお庭の木々を御覧になり、木陰に人が居るとの幻覚的な症状を呈するので、光る木のシュロ、アオキ、ススキを切ったり刈ったり、庭園の物に依頼した。

 

昭和57年7月19日(香淳皇后79歳)

お上(注:昭和天皇のこと)は「良宮(注:香淳皇后のこと)がお東所(注:トイレのこと)がわからないといって起したので…(以下中略)」とのこと。

 

昭和57年11月5日(香淳皇后79歳)

皇后さま(注:香淳皇后のこと)ホールにさまよう。(中略)要件を伺ったが、お上から何か裏に書くようにおっしゃられたらしいが、要領を得ない。侍従がお相手していることをおわかりでないらしい。階段下ホールでお話していたところお上がおいでになり、お引き取り願った。

 

昭和58年7月25日(香淳皇后80歳)

皇后さまお東のあと廊下にお迷いで仲々御寝室にお戻りにならなかったらしく、お上がお探しで市村女官をお起しになり、何故鍵をかけておかなかったとおしかり。

 

昭和60年9月28日(香淳皇后82歳)

容子内親王朝見の儀。皇后さまのおことば、仲々お読みにならず尻切れ。酒盃お口につけず、お箸お立てにならずうやむやなど散々の態であった様子で、記者連中注目の中でいよいよ老衰状況が知られてしまったという。これから記者への対応をどうするのか、もうごまかしきれないと思う。却ってよいのかもしれない。

 

昭和60年12月9日(香淳皇后82歳)

島津久永様御夫妻銀婚式祝宴御晩餐。(中略)皇后さまのお世話は東宮妃、常陸宮両殿下がお世話なさったが、仲々皇后さまがお着席やお立上がりなさらず。特にお帰りの際は、お眼鏡をそのままかお置きになるかあを東宮妃殿下が皇后さまにおききなったが要領をえなかったので、小生がそのままでと申しあげてお帰りいただいた。お世話するのは矢張り馴れた女官でないと時間がかかってしまう。

 

最後に

上に挙げたように、小林侍従の日記には、
夜中にトイレに行った後に迷い、寝室に戻れなくなった妻を迎えに行く昭和天皇の姿が書かれている。
一般家庭と同じく、認知症の妻を介抱する夫の姿が描かれているのだ。

当時は、高貴な方の認知症(当時は「痴呆」と呼ばれていた)を公表することは、
はばかられる雰囲気だった。

小林侍従の日記にも、
祝宴の際の香淳皇后のお振る舞いから、
香淳皇后の症状がマスコミに漏れることを懸念する様子が書かれている。

昭和60年以降、香淳皇后に関する記載はパタリと減っている。

昭和64年1月に昭和天皇が崩御されるまでの間、
昭和天皇の体調に何度か異変が起きるが、
その頃には香淳皇后は、
夫である昭和天皇に寄り添える状態ではなかったのだろう。

弟である高松宮が亡くなった直後の
昭和62年4月7日の小林侍従の日記には、

「お行事軽減について御意見。仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたり聞いたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれるなど。」

という昭和天皇の言葉が残っている。

昭和天皇おひとりで病と闘っていた孤独感が伝わってくる。

 

昭和天皇 最後の侍従日記


著者:小林忍+共同通信取材班
初版:2019年
発行:文藝春秋

(読書感想)昭和天皇 最後の侍従日記(著者:小林忍+共同通信取材班)その1

(読書感想)昭和天皇 最後の侍従日記(著者:小林忍+共同通信取材班)その2