(読書感想)私は女優(著者:浅丘ルリ子)
女優・浅丘ルリ子(以下、登場人物は敬称略)による自伝。
日本経済新聞『私の履歴書』(2015年7月1日~31日)に掲載された自伝をまとめたのがこの本。
この本は、前半部分が自伝、後半部分が対談(インタビュー;山田洋次監督・俳優の高橋英樹・俳優の近藤正臣)で構成されている。
主役しか演じることができない女優さんがいる。
浅丘ルリ子もそのひとりだ。
大女優として生きてきた浅丘ルリ子の半生がざっくりと説明されている。
生い立ち
浅丘ルリ子は1940年に中国・長春で生まれた。
出生時の体重が1,300kgしかなく、保育器に入れられて育ったそうだ。
未熟児で生まれたけれど健康で元気に成長したそうである。
浅丘ルリ子は長年細い体型なので太れない体質なのかと思っていたが、どうやらそのようだ。
浅丘ルリ子は低体重で出生したと知り、納得した。
御父上にそっくり
この本の表紙にある、若い頃の浅丘ルリ子の写真がなんとまあ美しい。
この本には浅丘ルリ子の小さい頃の写真とともに、ご家族の写真もいくつか掲載されている。
この本で自身も触れているが、浅丘ルリ子は若い頃の御父上にソックリである。
御父上が若い頃の美青年ぶりがわかる写真も掲載されている。
若い頃の浅丘ルリ子の横は、若い頃の御父上の横顔に瓜二つだ。
そういえば、浅丘ルリ子は若い頃と30代後半以降の顔が少し違う。
若い頃はほっぺたがふっくらしていて、これはこれで健康的でチャーミングだ。
30歳を迎える頃には顔が引き締まって大人の顔、今の浅丘ルリ子と同じ造形の顔になるのが不思議だ。
中原淳一先生に見い出される
浅丘ルリ子は映画「緑はるかに」のオーディションで選ばれた。
「緑はるかに」は読売新聞で連載されていた人気小説で、当時売れっ子画家の中原淳一先生がこの小説の挿絵を描いていた。
オーディションにはもちろん中原淳一先生が審査員として参加されていた。
浅丘ルリ子は中原淳一先生に見い出されたそうだ。
中原淳一先生が描く少女のように、浅丘ルリ子は大きくて黒い瞳が印象的だ。
中原淳一先生いわく、オーディションの時、主役は浅丘ルリ子しかいないと思っていたそうだ。
オーディションのカメラリハーサルの際、中原淳一先生が浅丘ルリ子の目張りをいれてくれたというエピソードが印象的だ。
浅丘ルリ子がいつも目張りを入れているのは、中原先生に目張りを入れて頂いたのがきっかけだそうだ。
裕ちゃん
浅丘ルリ子は石原裕次郎と多く共演した。
さらに浅丘ルリ子という人はかつて石原プロに所属していたので、石原裕次郎に対する思い入れの深さは格別のようだ。
この本でも石原裕次郎との思い出について書かれている。
この時代の女優さんは皆「裕ちゃんの人柄の良さ」を絶賛している。
浅丘ルリ子も例外に漏れず、裕ちゃんの人柄の良さ・品の良さを絶賛している。
初対面の人に対してはどんな人でも相手の目をまっすぐに見て挨拶する品の良さがあったそうだ。
石原裕次郎という人はとにかく規格外に素敵な人だったということがわかる。
ただその反面、石原裕次郎はかなりの酒好きで、撮影現場でもお酒を止められなかったことも少し触れられている。
石原裕次郎の酒好きは相当のようで、そういえば、萩原健一の自伝『ショーケン』でも石原裕次郎のお酒にまつわるエピソード(石原裕次郎が飲み過ぎないよう、ショーケンは妻の北原三枝から頼まれた)が書かれていたのを思い出した((読書感想)ショーケン(著者:萩原健一)))。
小林旭
この本には浅丘ルリ子と小林旭が交際していたことが書かれている。
浅丘ルリ子が22歳の頃、浅丘ルリ子の父親に小林旭が結婚を申し込んだが、まだ22歳で女優として発展途上だったため断られたと書いてある。
高級官吏だった浅丘ルリ子のお父様が仕事を辞めてしまい一家は貧しい生活を強いられていたようで、当時は浅丘ルリ子が女優として一家の家系を支えていたというのもあったのだろう。
ところで、浅丘ルリ子は、小林旭の元妻である美空ひばりと非常に親しかったとのことだ。
また、この本によると、浅丘ルリ子の元夫である石坂浩二は加賀まりこの元恋人だったそうだ。
加賀まりこと浅丘ルリ子は今でも親しい。
女優さんの中には、昔交際していた男性と結婚した女性と仲良くなる人が結構いらっしゃる。
同じ男性を好きになった「同志」のような関係になるのが興味深い。
男性と一度別れると女性はきれいさっぱり、あっさり忘れられるようだ。
姉御肌
この本の後半部分にある、高橋英樹・近藤正臣との対談から、浅丘ルリ子がさっぱりとした性格で、姉御肌だということがわかる。
若い頃は、浅丘ルリ子の実家は、食えない若手俳優の合宿所みたいだったようだ。
浅丘ルリ子はたくさんの若者を食わせていた、ということ。
この時代の看板女優さんはとてつもない額を稼いでいたようである。
ただそれだけ、寝る間を惜しんで働き続けていたのだろう。
この時代の売れっ子女優はとてつもなく稼いでいたことは、20代前半で豪邸を建てた十朱幸代の自伝『愛し続ける私』、20代前半でフランスに遊学した加賀まりこの自伝『純情ババアになりました』を読んでもよくわかる。
十朱幸代と加賀まりこの自伝については以前、書評を書いた。
高橋英樹も、浅丘ルリ子に食べさせてもらっていた俳優のひとりだったそうだ。
浅丘ルリ子と高橋英樹との対談を読むと、当時の映画界の盛況ぶりが想像できる。
女優が女優だった時代の話
わたしは、浅丘ルリ子世代とそれより上の年代の女優さんに強い憧れがある。
浅丘ルリ子、佐久間良子、加賀まりこ、十朱幸代、岸惠子、有馬稲子、草笛光子…。
わたしが物心ついたとき、彼女たちはちょうど30代。
彼女たちの女優としての円熟度が高まりつつある頃、多くの芝居やドラマに出演しているのをわたしは見てきた。
だからこの時代の女優さんの自伝をここで取り上げてきたし、これからも取り上げていくつもりだ。
みなさんまだまだお元気に活動されていて頼もしい。
私は女優
著者:浅丘ルリ子
初版:2016年
出版社:日本経済新聞社