懐かしい野球伝記【小学〇年生】
今回の記事は野球について。
そういえば日本の小学校では小学校高学年になると、国語の授業で伝記を取り上げる。
そして「何か好きな伝記を1つ選んで読書感想文を書きなさい」という課題が出される。
私が子どもの頃、子どもたちがよく読んでいた野球人の伝記の定番といえば「ベーブ・ルース」。
でも、最近の子どもたちはベーブ・ルースを知らないだろう。
ベーブ・ルースの伝記は今でも色々な出版社から出版されている。
「小学〇年生」の野球伝記
しかし、私が印象に残っている野球人の伝記はなんといっても日本のプロ野球選手の伝記だ。
それも雑誌「小学〇年生」の特集や付録として書かれた伝記である。
私が子どもの頃の一番古い日本のプロ野球の記憶は、王貞治選手(以下敬称略)の756号のホームラン(当時のホームラン世界新記録)である。
ちょうど張本選手(以下敬称略)がロッテから巨人に移籍した頃、つまりは王・張本が巨人のクリーンナップを打っていた頃だ。
私の心に残る伝記は、雑誌「小学〇年生」に掲載されていた「王貞治」と「張本勲」の伝記だ。
当時彼らはまだ現役だったので、伝記は当時付録以外の書籍として出版されていなかったはずである。
当時は、かなりの割合の小学生が雑誌「小学〇年生」を購読していた。
だから、この雑誌で掲載されている野球伝記を熱心に読んでいた子どもたちは大勢いたはずである。
この野球伝記はもしかしたら漫画として描かれていたかもしれない。
「王貞治」と「張本勲」に共通する点
「王貞治」と「張本勲」に共通する点、それは二人とも国籍はそれぞれ台湾と韓国と違うとはいえ、親世代が在日1世として日本で大変な苦労をして働いて子どもたちを養っていた点である。
国籍による差別が今よりもずっと強かった時代だ。
彼らの両親はただひたむきに働くことで子どもたちを育て上げた。
野球伝記には、懸命に働く両親を見ながら野球に打ち込む彼らの姿が描かれていた。
だから、この野球伝記には「親孝行する」・「毎日コツコツと努力する」といったような教育的要素が含まれていたと思う。
王貞治選手の伝記
私が王貞治の野球伝記で心に残っているのはその生い立ち、そして、かの有名な荒川コーチとの一本足打法の特訓である。
生い立ち
私が印象的だったのは王貞治が二卵性双生児として生まれ、幼少期はかなり病弱だったことである。
医学が発達していない頃の話なので推測だが、王貞治は双子だったので、未熟児として通常よりも早く小さく産まれたのだろう。
彼より健康だった双子の姉のほうが幼少時に亡くなってしまった。
このため、王貞治は亡くなった姉の分も生きて欲しいと母親から言われていたということだ。
後に王貞治自身が書いた伝記を読んだことがある。
彼は2歳を過ぎても歩けず、周りを心配させたそうである。
けれども、幼少時に体が弱かった少年がぐんぐん成長し、野球に打ち込み、甲子園にも出場し、最終的にはホームラン王をとる野球選手になるという話は「たとえ体が弱くても、コツコツ努力をすれば素晴らしいプロ野球選手になれる」という夢を全国の子どもたちに与えた。
なお、当時の野球伝記では取り上げられていなかったが、王貞治の兄は慶応医学部に進学して医師になっている。
弟(王貞治)だけでなく、他の兄弟も勤勉な両親の背中を見て育ったのだろう。
一本足打法の特訓
かの有名な「一本足打法」を確立するために、王貞治が荒川コーチと二人三脚で特訓したという話が強烈な印象として私の記憶の中に残っている。
王貞治の荒川コーチとの特訓はよく知られた話なので説明は不要だろう。
荒川コーチとの特訓の話は当時「小学〇年生」で何度も何度も取り上げられていた。
何万回もの素振りによってできた「擦り切れた畳」の写真が載っていて印象的だった。
張本勲選手の伝記
張本勲という選手は、巨人に移籍する前はロッテの選手だった期間が長い。
その後、ちょうど私が小学〇年生を購読している頃に巨人に移籍してきてクリーンナップを打っていた頃に伝記として取り上げられたと思われる。
右手のやけど
張本勲の伝記は衝撃的だった。
彼の伝記を読んで、同じく幼少時に手を負傷した人物として野口英世を思い出した。
張本勲は幼少時に重いやけどを負って右手が不自由になったものの、手術を経験し、左手で機能をカバーすることで、ハンデを克服してプロ野球選手になったのである。
ふつうは、事故で右手の機能が落ちたらスポーツ選手は諦めるだろう。
けれども、張本勲はそんなハンデを克服してプロ野球選手になったのである。
並外れた精神力の持ち主である。
被爆経験
余談ではあるが、さらに衝撃的なことに、張本勲は幼少時に広島で被爆したことを後に張本自身が公表している。
被爆体験は私が子どもの頃の野球伝記では取り上げられていなかったことだ。
張本勲は幼少時に右手に重いやけどを負っただけでなく、被爆という想像を絶するような体験をしている。そして、被爆で姉を亡くすという辛い経験もしている。
今年の夏、大船渡高校の佐々木投手が県大会決勝で登板せず、大船渡高校が負けて甲子園に出場できなかったことが話題になった。その際、張本勲は「投げるべきだった」との発言をして批判を浴びたのは記憶に新しい。
連投による肘の故障を防ぐため、佐々木投手の将来を考えれば、私自身は登板しないという選択で良かったのだろう。
今後は、願わくば、県大会の日程に余裕をもたせたほうがよいとも思う。
ただ、被爆という想像を絶する体験をし、右手が動かないというハンデを乗り越え、貧しい生活の中で野球を続け、甲子園を目指していたのに出場できなかった経験をした張本勲からすれば、「チャンスがあれば投げるべき」と考えるのは当然だろう。
「将来を考えたあげく一瞬のチャンスを逃せば、プロ野球選手という夢など簡単に消えてしまう」
自らの体験を通じて、張本勲はそう言いたいのではないか。
まとめ
今のプロ野球選手だって、プロ野球選手になるために小さい頃から相当の努力をしている。
けれども、ここで取り上げた王貞治・張本勲のような壮絶な体験をしている選手は今はなかなかいない。
こういった経験が、ある種の人間的な凄み・胆力を彼らにもたらしているのだろう。
今と昔とでは時代背景が異なるから無理かもしれない。
けれども、こういう野球伝記に夢中になる経験を今の子どもたちにもさせてあげたい。
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